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「日本フィギュア史上初の金メダル」荒川静香が五輪直前に下した決断…モロゾフコーチが20年後に明かす“わずか3カ月の舞台裏”「驚きはしたけど…」
posted2026/02/18 11:03
トリノ五輪で金メダルを掲げて声援に応える荒川静香
text by

田村明子Akiko Tamura
photograph by
Takuya Sugiyama / JMPA
語り継がれるイナバウアー、アジア勢初の金メダル。バロックの都で華やかに成し遂げた偉業の裏には、五輪直前にコーチとプログラムの変更に踏み切る、勝利へのただならぬ執念と大胆な戦略があった。
発売中のNumber1137・1138号に掲載の[ニコライ・モロゾフが明かす舞台裏]荒川静香「頂点に狙いを定めて」より内容を一部抜粋してお届けします。
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五輪直前にコーチ変更の決断
2006年2月23日、イタリアのトリノで新たな歴史が作られた。当時24歳だった荒川静香が、アジア人フィギュアスケーターとして初のオリンピック金メダルを手にしたのである。閉会式を3日後に控えたタイミングでもたらされたニュースに、日本中が歓喜に包まれた。結果的に、このトリノオリンピックで日本代表選手が唯一獲得できたメダルでもあった。
荒川の金メダルにおけるキーパーソンは、コーチのニコライ・モロゾフだった。荒川はそれまで1年9カ月にわたり指導を受けていた“チャンピオンメーカー”タチアナ・タラソワから、オリンピックのわずか3カ月前に、モロゾフのもとに移るという思い切った賭けに出た。
「確か(11月下旬の)ロシア杯の最中に連絡をもらったのですが、初めて一緒に氷の上で練習をしたのは、(直後に)NHK杯で来日した時でした。日本スケート連盟が、夜にリンクの時間をとってくれたんです」
「シズカは非常に身体能力の高い選手でした」
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現在フロリダのリンクを拠点にしているモロゾフは、取材に応じてそう語り始めた。
「彼女とは、夏の間に振付師として指導したことは何度もあったのですが、メインのコーチとして一緒に氷の上に立ったのは、あの時が初めてでした」
