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「日本フィギュア史上初の金メダル」荒川静香が五輪直前に下した決断…モロゾフコーチが20年後に明かす“わずか3カ月の舞台裏”「驚きはしたけど…」
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田村明子Akiko Tamura
photograph byTakuya Sugiyama / JMPA
posted2026/02/18 11:03
トリノ五輪で金メダルを掲げて声援に応える荒川静香
モロゾフが荒川のプログラムを制作したのは'02-'03年シーズンからで、その翌年に荒川はモロゾフ振付の『トゥーランドット』を滑り、2004年のドルトムントで行われた世界選手権で初優勝を果たした。
「シズカは初めて会った時から、非常に身体能力の高い選手でした。でも最初の頃は自分の能力をあまり信じていない印象を受けた。僕は彼女が自信を持つ手助けをしたのだと思います」
モロゾフの回想「驚きはしたけど…」
秋のグランプリ大会2戦とも3位に終わっていた荒川は、オリンピックまでにステップのレベルを上げる必要性を感じていた。トリノは現在の採点方式が導入されてから初めて迎えるオリンピックで、ジャンプだけではなくステップやスピンなどエレメンツのレベルも勝敗を分ける鍵となっていたのだ。グランプリファイナルに進出できなかったことで時間的な余裕もあったため、荒川は氷の上で指導できるコーチを求めて、タラソワのチームに、元アイスダンサーでステップの指導に定評があるモロゾフの参加を望んだ。しかし、すでに袂をわかっていたかつての師弟は、どちらも同じチームで働くことを受け入れなかった。そこで荒川は、当時まだ30歳だったモロゾフに運命を託す決意をしたのだった。
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「シズカから連絡をもらった時、驚きはしたけど、正直それほどでもありませんでした。当時は僕に助けを求めに来たスケーターは他にもたくさんいたので」
モロゾフが言うように、当時の彼はスケーターの駆け込み寺のような存在だった。選手の間では「勝ちたければモロゾフのところへ行け」と言われるほど、勢いのある売れっ子コーチになっていたのだ。
それにしても、オリンピックのわずか3カ月前に彼女を引き受けることにためらいはなかったのか。
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