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名将・大木武「残留しても退任させてほしい」織田秀和GMが語るロアッソ熊本“J3降格”のウラ側…ミシャにも森保一にもあった「6年目の魔のサイクル」 

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宇都宮徹壱

宇都宮徹壱Tetsuichi Utsunomiya

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posted2026/01/23 11:05

名将・大木武「残留しても退任させてほしい」織田秀和GMが語るロアッソ熊本“J3降格”のウラ側…ミシャにも森保一にもあった「6年目の魔のサイクル」<Number Web> photograph by Tetsuichi Utsunomiya

ロアッソ熊本の織田秀和GM。どんな思いで昨季のJ2最終節を迎えていたのか

 大木サッカーの真骨頂は、巧みなコンビネーションで相手の守備網を破壊していく、攻撃的なスタイル。ただし、変わらぬスタイルを6年も続けていれば、当然ながら相手も対策を施してくる。ボールは保持していても、相手の守備ブロックを突破できずに失点を重ねる展開が続いた。

 それでも「大木なら、なんとかしてくれるだろう」という思い込みが、どこかにあった──。思えば、織田がサンフレッチェ広島の強化部長を務めていた時代にも、当時の名将たちがいずれも6シーズン目で勝てなくなり、クラブを去っている。ミハイロ(ミシャ)・ペトロヴィッチしかり、森保一しかり。大木もまた、6年目の魔のサイクルに陥っていた。

「森保一を監督に推挙した男」織田秀和とは何者か

 織田は1961年生まれで広島市出身。筑波大学を経てマツダに入社し、のちに日本代表監督となるハンス・オフトの薫陶を受ける。1991年に現役引退後、いったんは社業に戻るものの、サンフレッチェ広島に出向。日本におけるGMの元祖、今西和男の下で強化畑を歩むこととなる。

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 強化部長時代の織田の功績といえば、ミシャを日本に連れてきたことと、彼の後任に森保を推挙したことが挙げられよう。つまり広島のみならず、日本サッカー界にとっても重要な役割を果たしてきたことになる。そんな彼は、クラブの事情により2015年に広島の社長に就任。3年の任期を務め上げ、2018年に熊本にて強化畑に復帰した。

「J3での仕事は初めてでしたし、予算規模も(選手の)ネームバリューもサンフレッチェとはぜんぜん違う。でも、苦労というよりもやりがいを感じていました。サンフレッチェでは、今西さんから引き継いだベースがあって、そこに付け足していく仕事でしたけど、ロアッソでは自分が新たなベースを作ることができましたからね」

【次ページ】 「この人と一緒に仕事がしたい」大木武に惹かれた理由

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