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「原晋監督の優しさを感じました」“箱根駅伝で最下位を走った”青学大ランナーの苦しみ「人生で一番しんどかった…」“33年ぶりの箱根”岡崎隼也の記憶 

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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posted2026/01/11 11:25

「原晋監督の優しさを感じました」“箱根駅伝で最下位を走った”青学大ランナーの苦しみ「人生で一番しんどかった…」“33年ぶりの箱根”岡崎隼也の記憶<Number Web> photograph by Number Web

青山学院大学が33年ぶりに箱根駅伝に出場した2009年、6区を走った岡崎隼也さん。コンディションが整わず、区間最下位の苦しいレースとなった

「渋谷、良いじゃんって(笑)」青学大を志望した理由

 そもそも、進路を青学大へと導いたのは、ちょっとした偶然だった。

 岡崎さんの地元は広島だ。小学生で陸上を始め、高校は箱根路を沸かせた徳本一善(現・芝浦工業大駅伝部監督)の母校でもある沼田高へ進学した。当時、打ち込んでいたのは中距離で、高校2年までは全国の舞台とも無縁だった。高2ともなれば進路調査が行われるが、岡崎さんはそこで初めて青学大の校名を口にする。

「恥ずかしい話ですよ。進路指導室で大学の赤本を見ていたら、青森大学の次に“青山学院大学”が並んでて、手に取ったら所在地が渋谷と書いてあった。都会への憧れもあって、良いじゃんって(笑)。それで第1志望に青学って書いたんですけど、学力が伴っていなかったので、担任の先生には『お前はふざけてるのか』って怒られましたね」

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 それでも、こうして口にしたことで、陸上部の恩師にも志望大学が伝わることになる。当時の中村監督は世羅高時代の原監督の先輩に当たる人物だ。誰か良い選手がいたら紹介してほしい、と声をかけられていたことを思い出し、恩師が原監督に話をつないでくれたという。出された条件は、次のインターハイに出場すること。そうすれば、スポーツ推薦枠が出せるという話だった。

 まさに千載一遇のチャンスを、岡崎さんはものにする。高3の夏に1500mでインターハイ出場を果たし、見事推薦枠を勝ち取った。

 だが、意気揚々と上京するも、陸上部の寮は町田にあり、通うキャンパスも神奈川の相模原だった。都会のイメージとはほど遠い環境を目にし、「想像していたキャンパスライフとはまったく違いました(笑)」と出鼻を挫かれた感はあったが、ともかく先輩や9人の同級生と箱根駅伝を目指す生活が始まった。

続く

#2に続く
「東洋大で武者修行してきなさい」原晋監督の指令が青学大“ダメダメな1年生”の意識を変えた「甘さを痛感」“弱かった青学大”が箱根駅伝に出るまで
この連載の一覧を見る(#1〜3)

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