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「原晋監督の優しさを感じました」“箱根駅伝で最下位を走った”青学大ランナーの苦しみ「人生で一番しんどかった…」“33年ぶりの箱根”岡崎隼也の記憶
text by

小堀隆司Takashi Kohori
photograph byNumber Web
posted2026/01/11 11:25
青山学院大学が33年ぶりに箱根駅伝に出場した2009年、6区を走った岡崎隼也さん。コンディションが整わず、区間最下位の苦しいレースとなった
その言葉通り、同時スタートした城西大の三田翔平(当時2年)の姿は早々に見えなくなった。急勾配の下り坂は足への負担が大きく、腰へのダメージも相当だった。息も上がり、腰にも痛みはあるが、下りゆえに足だけは前に動く。これまでに経験したことがない感覚で、岡崎さんは必死に最下位を走っていた。
「憶えているのは、声援ですね。宮ノ下の辺りだったか、地元の方が選手の名前を呼んでくれるんです。こんな順位なのに、名前で呼んでくれるんだって。あと、箱根湯本から運営管理車が合流するじゃないですか。あそこで監督に何を言われるのかと思ったら、何にも言われなかったこと。あれはすごく僕の中で印象深いです」
あえての“無言”に「監督の優しさを感じました」
岡崎さんは、いわゆる原チルドレンの2期生だ。原晋氏が青学大の監督に就任して2年目に陸上部の門を叩いている。監督と選手という立場でありながら、苦しい黎明期を共に駆け抜けた同志のような関係性でもあったのだろうか。
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監督の声なき声に、岡崎さんはこんな思いを抱いたという。
「あの時は監督の優しさを感じました。怒っているとかはまったくなくて、繰り上げせずに襷をつなごうという思いは一緒だったと思います。あの年、僕たちの目標は予選会を通ることで、本戦はもうお祭りというか……。だから僕自身が区間最下位を取ったことに対しても、自分への失望みたいなものはなかったです」
前を走るランナーの影は、ついに捉えることができなかった。襷をつないだときの順位は23位。だが、区間最下位を誇れるのは、それまでに悔いのない一瞬、一瞬を過ごしてきたことの証だろう。
岡崎さんが振り返る4年間は、それほど中身の濃い、充実したものだった。

