箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「同期の平林(清澄)たちにジェラシーもあって」“山の神”の新チームに参加の“ラッパーランナー”の思い「神野(大地)さんと自分は似ている」
posted2026/01/02 11:06
神野大地監督率いるMABPに新卒で入社。始動初年度でのニューイヤー駅伝出場に貢献した中川雄太の駅伝への思い、神野監督との関係とは
text by

佐藤俊Shun Sato
photograph by
Ichisei Hiramatsu
続いては、ひとかたならぬ思いでこのチームに加わった中川雄太に聞く。〈全5回の2回目/つづきを読む〉
第101回箱根駅伝での当日変更が、MABP(M&Aベストパートナーズ)マーヴェリックに入社するキッカケになった。
国学院大の4年生で迎えた101回大会、中川雄太は10区に配置されていた。調子も良く、走る準備をしていたが、12月31日、外れることが決まった。
結局、大学4年間で箱根を走ることはかなわなかった。
もう一度駅伝に挑戦するためにMABPへ
ADVERTISEMENT
「悔しかったですね。箱根本番はチームのサポートをしていたのですが、駅伝への想いがどんどん強くなり、4日の朝、監督に駅伝にもう一度、挑戦したいと伝えました」
中川は自衛隊に入隊することが決まっていたが、駅伝出場の可能性があるのはMABPだった。MABPから勧誘を受けていたわけではない。先に同期の板垣俊佑の入社が決まっていたので、前田康弘監督が連絡を取り、神野大地監督と髙木聖也GMが寮に来て、話がまとまった。
2月に丸亀ハーフを61分40秒で走り、4月からのMABPの活動も順調にスタートが切れると思っていた。ところが、そこから疲労が出て、足がキツくなり、思うように走れなくなってしまった。
「4月のチーム始動の際は、(同期入社の)山平(怜生)や栗原(直央)に後れを取り、神野さん、近藤(秀一)コーチと話をして、無理のない範囲で80%ぐらいの練習をずっと繰り返していました。その過程でも足にきてしまって、その都度、相談して練習メニューを落としてもらったり、自分がやりやすい環境を作ってもらえたんです。
大学では、与えられたメニューをがんばってこなすけど、やがて限界が来て疲労骨折、ということを繰り返していたので、コミュニケーションを取りながら調整してくれたのがありがたかったです」
焦る中川に神野がかけた言葉
山平や栗原が日本選手権に出場すると「何やってんだ、俺は」と自責の念にとらわれた。なかなか調子が戻らず、ポイント練習を落とすこともあった。
「焦りはあったんですが、神野さんからは、無理なくやっていこうと事前に言われていましたし、山平たちが選手権に出た時も僕らを責めることはなく、『練習していけばいつかはいける』と言ってくださいました。ポイントを落とした時も『こんなもんじゃないから。絶対に上がってこれるから』って言葉をかけていただいて、それですごくポジティブな気持ちになれました」

