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甲子園の風BACK NUMBER
“熱心すぎるファンクラブ”までいた千葉の盟主が20年甲子園から遠ざかり…「あの江川卓に勝利」「篠塚利夫を擁して優勝」した公立校・銚子商高の今
posted2025/08/22 11:02
1974年夏には悲願の甲子園優勝。翌年は同じ千葉の習志野高が優勝した。同都道府県が異なる学校で連続優勝したことは過去4例しかない
text by

内田勝治Katsuharu Uchida
photograph by
JIJI PRESS
伝統の「黒潮打線」で春夏20回の甲子園出場、74年夏には優勝を果たした千葉屈指の古豪、銚子商業。しかし2005年を最後に甲子園に登場できていない。多くのファンを持つ名門の今を訪ねた。〈全2回の1回目/つづきを読む〉
東京から直線距離で100キロ。関東最東端に位置する千葉県銚子市は、三方を太平洋と利根川に囲まれた銚子半島に位置する。銚子漁港は北から寒流の親潮、南から暖流の黒潮がぶつかり合う好漁場を有しており、2011年から12年連続で水揚げ量日本一に輝いたこともある。
熱狂的ファンの「土手クラブ」
そんな港町の高台に、かつて「黒潮打線」で甲子園を席巻した銚子商の本校舎がある。すり鉢状の専用グラウンドで練習や試合がある際には、土手の斜面に必ずと言っていいほど見物客がいる。通称「土手クラブ」。野球部の熱狂的なファンクラブは、昭和の時代からチームの栄枯盛衰を厳しくも温かな目で見守り続けてきた。
ファン多き伝統校を2017年から率いるのは、44歳OB監督の澤田洋一だ。1995年春の選抜準優勝監督の飯島孝則からバトンを引き継ぎ、今年で9年目になる。
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「現役の頃は全然知らない方から、いいプレーをすれば褒められましたし、変なプレーをすれば『もっと練習しろよ』と言われたこともあります。私は他校でも指導者をやらせてもらっているので、銚子商のファンの方々がどれだけ熱狂的かというのは、よく分かっています。正直、相当な覚悟で指導をしています」
澤田はそう言うと、ユニホームの胸部分に刺繍された「CHOSHO」の文字を右手でさすった。歴代の先輩が血と涙と汗で築き上げてきた伝統のユニホームは、今夏163校147チームが参加した激戦区の千葉において、別格の輝きを放っている。

