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女子陸上選手を狙う卑劣な盗撮「防ぎきれません。本当に困ったこと」“美女スプリンター”と呼ばれた市川華菜が今語る、現役選手が声を上げる“難しさ”
posted2025/12/19 11:04
トップスプリンターとして活躍してきた市川華菜さんが語る、人気の裏にあった葛藤とは
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矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
AFLO/Shiro Miyake
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愛知県に生まれ、2009年4月に地元の中京大学に進学した市川さんは、同大陸上部の青戸慎司コーチの指導の下で急成長を遂げていった。2010年には世界ジュニア選手権の日本代表に選ばれ、女子200mで日本人初となる決勝進出を果たし、8位入賞の快挙。周囲はにわかに沸き立った。
当時の日本の女子短距離界は、市川さんの2学年上の福島千里さんが2008年北京オリンピックの女子100mに日本人として56年ぶりの出場を果たしたことで注目度が上がっている状況だった。そこに現れた期待の新星である市川さんの元には、多くのマスコミが押し寄せるようになった。
「美女スプリンター」と注目された裏にあった悩み
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市川さんの成績は2011年にさらに向上。5月のセイコーゴールデングランプリ川崎では女子4×100mリレーの4走を務め、3走の福島千里さんらとともに43秒39の日本新記録(当時)を樹立した。
華やかなビジュアルも相まって市川さんへの注目は増すばかり。中京大学の陸上トラックには報道陣が連日訪れるようになり、市川さんが知らない間に取材スケジュールが組まれてしまっているなど、次第に収拾のつかない状態になっていった。
「高校まではそういうことからかけ離れたところで生きてきたのに、大学に入ったら状況が急激に変りすぎて……。日本選手権の1週間前にも取材が続いた時はすごくストレスと感じました」
陸上に燃えている当時の市川さんにとって、取材で練習時間が削られるのは最も避けたいことだった。時には取材場所へ行かずに隠れてしまうこともあったという。
「今思えば何ということをしているのだと思うんですけど、自分の練習時間を取られるのがどうしても嫌で、それが態度に出てしまった時期が何度かありました。青戸コーチとしては大学や陸上界のためを思ってのことだったのでしょうが、私はそういうのが苦手でした。母親から『腫れ物に触っているみたい』と言われるほどイライラすることが多くなり、良くない態度を取ってしまったこともあったので、本当に申し訳なかったと思っています。
今振り返れば、状況が変化した中でうろたえ、自分自身の気持ちをはっきり口にすることができなかった、自分の弱さだったのかなとも思っています」

