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「お母さん…俺、仙台育英にするわ」“ノーコンだった少年”が甲子園で大活躍&ドラフト候補に成長するまで「元バレー代表“伝説リベロ”の母」が明かす成長物語
posted2025/12/12 11:07
沖縄尚学との激闘の記憶が新しい仙台育英高・吉川陽大。元バレーボール日本代表でリベロとして活躍した母・津雲博子がここまでの歩みを振り返った
text by

田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
JIJI PRESS
2025年8月17日、甲子園の気温は何度だったのか。
仙台育英と沖縄尚学の3回戦。9回では決着がつかず、タイブレークの11回には試合開始から2時間以上が過ぎていた。緊張か、はたまた熱中症か――仙台育英のマウンドに立つ吉川陽大の母・博子さんは気分が悪くなって、一度、スタンドから日陰へと移動した。
1、2回戦でもアルプススタンドにいながら、まともに試合を見ることができなかった。あの陽大が、子どもの頃から夢見た甲子園という舞台に立つ。晴れ姿だとわかっていてもよぎるのは野球を始めたばかりの小学生の頃の記憶。
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「とにかくストライクが入らなかったんです。陽大のボールを捕るために、キャッチャーの子があっちこっち手を伸ばさないといけない。そのイメージが私の中では抜けなくて、ずっと怖かった。だから1つアウトを取るたびに周りのお母さんたちが『ストライク取ったよ、アウト取ったよ』と教えてくれて、ありがとう、ありがとうって祈ることしかできませんでした」
号泣する息子「“泣くな”と思うけれど…」
11回裏、2点を追う仙台育英の攻撃。あっという間に2死三塁と追い込まれた場面でバッターボックスに立ったのが、この日一人で投げ抜いてきた息子だった。大歓声を耳にし、モニターに映る陽大の姿を確認した博子さんは、再びスタンドへ急いで駆け戻った。
目に飛び込んできたのは一塁にヘッドスライディングしたまま、立ち上がれず、仲間たちが支えながら涙する息子の姿。試合を終えてから、バッターボックスに立つ時から泣いていたことを知った。
「SNSで動画がたくさん出ているのを見て、泣いてたの?って。泣いてるどころか号泣でしたよね(笑)。アスリートの目線で見れば『泣くな』と思うけれど、母としては『仕方ないよね』という気持ち。半分半分でした」


