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「私は名将じゃない。“迷将”ですかね」日本代表・森保一監督が明かすJリーグ・広島時代の回想「選手たちのことをメッチャ見ていたと思います」
text by

二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJ.LEAGUE
posted2025/12/03 17:00
広島時代は監督として3度チームを頂点に導いた森保一
「人気のあるミシャさんが去って、この魅力的なサッカーが失われるのはどうなんだという雰囲気はありましたよ。クラブ事情的に選手を放出しなければならなかったし(周りは)不安と危機感に包まれていたとは思います。優勝というよりもまずは残留。J1に生き残ることを考えました」
コーチを務めていたアルビレックス新潟から3年ぶりに帰還。ミシャイズムはサンフレッチェコーチ時代に学んでおり、キャンプから選手たちに課したのはクタクタになるまで体を追い込むハード過ぎるトレーニングだった。
「私が見ていたミシャさんのトレーニングは、それはもう半端なくきつかったですから。ほとんどがボールを使ってのトレーニングでしたね。自分の場合はボールなしの走りも取り入れました。振り返ってみると監督1年目でさじ加減が分からずに、結構きついことをやらせてしまったのかなという思いもあります。やっぱり1年間、体のキレと強度を保っていくにはプレシーズンで量的なものは必須なので」
「選手たちのことをメッチャ見ていたと思います」
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体を鍛えるとともに自分の心を鍛える。そもそも「量」あっての成長という教えは、ミシャのみならずサンフレッチェの前身であるマツダ時代のハンス・オフトから脈々と受け継がれてきた。森保は監督になって週に2度、午前の全体練習に続いて若手には午後の2部練習を義務づけると、自身も最後までトコトン付き合った。
「選手たちのことをできるだけ、じゃなくてメッチャ見ていたとは思います。そのうえで試合に使うか、使わないかを判断していたつもりですし、選手の頑張りをしっかり見たうえでチームマネジメントしていきたいと考えていました」
全員に働き掛け、寄り添い、底上げしていこうとする。これも〈一人ひとり派手な選手はいなくとも組織として束になって大きなパワーを生み出す〉という初代総監督、今西和男の教えが森保の心にしっかりと刻まれていたからにほかならない。
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