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「私は“迷将”のほう」広島を率いて「戦国J1」を3度制した森保一がミシャ、オフト、バクスター、今西和男から受け継ぎ、実践した“一つのこと”とは?《名将インタビュー》
毎度、Jリーグのどこかの会場に森保一の姿がある。選手選考の意味はもちろんのこと、それが日本代表監督としての責務でもあるように。律儀な視察にはJリーグに対する彼の敬意と誠意が滲み出ている。
「30年以上歴史をつむいできて、(リーグの)全体的なレベルは間違いなく上がっていると思います。規律、組織力は誇るところですが、今は個々の強さで上回っていこうとする姿勢が凄く感じられます。組織対組織のなかに個が責任を持って1対1の局面でぶつかっていく。デュエル、インテンシティは本当に高くなっているし、ミドルシュートも増えてきた。欧州のサッカーと変わらない展開になってきている」
国内外を往来する日本人選手の数が増え、かつ南米主体だった外国籍選手も世界から集まってくる時代、Jリーグも世界の潮流にアジャストしながら発展を遂げている。それでも一つ変わらない特徴があるとすればどこが勝つか分からない「戦国J1」であること。そのなかでアーセン・ベンゲル、岡田武史、西野朗、イビチャ・オシム、オズワルド・オリヴェイラら様々なクラブから様々な名将があらわれた。
「まずは残留。J1に生き残ることを考えました」
無論、サンフレッチェ広島で3度、リーグ制覇した森保もその一角に名を連ねる。クラブが経営的な苦境にあった2012年に監督に就任。降格を危惧する声を吹き飛ばして優勝を成し遂げると、'13年の連覇は大逆転で、そして3度目となる'15年は主力選手を引き抜かれながらも頂点にたどり着いた。「戦国J1」の象徴があのときのサンフレッチェであり、森保である。
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