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「私は名将じゃない。“迷将”ですかね」日本代表・森保一監督が明かすJリーグ・広島時代の回想「選手たちのことをメッチャ見ていたと思います」
posted2025/12/03 17:00
広島時代は監督として3度チームを頂点に導いた森保一
text by

二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
J.LEAGUE
発売中のNumber1132号に掲載の[代表指揮官の原点]森保一「受け継がれる名将のDNA」より内容を一部抜粋してお届けします。
「私は名将じゃなく“迷将”ですかね」
毎度、Jリーグのどこかの会場に森保一の姿がある。選手選考の意味はもちろんのこと、それが日本代表監督としての責務でもあるように。律儀な視察にはJリーグに対する彼の敬意と誠意が滲み出ている。
「30年以上歴史をつむいできて、(リーグの)全体的なレベルは間違いなく上がっていると思います。規律、組織力は誇るところですが、今は個々の強さで上回っていこうとする姿勢が凄く感じられます。組織対組織のなかに個が責任を持って1対1の局面でぶつかっていく。デュエル、インテンシティは本当に高くなっているし、ミドルシュートも増えてきた。欧州のサッカーと変わらない展開になってきている」
国内外を往来する日本人選手の数が増え、かつ南米主体だった外国籍選手も世界から集まってくる時代、Jリーグも世界の潮流にアジャストしながら発展を遂げている。それでも一つ変わらない特徴があるとすればどこが勝つか分からない「戦国J1」であること。そのなかでアーセン・ベンゲル、岡田武史、西野朗、イビチャ・オシム、オズワルド・オリヴェイラら様々なクラブから様々な名将があらわれた。
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無論、サンフレッチェ広島で3度、リーグ制覇した森保もその一角に名を連ねる。クラブが経営的な苦境にあった2012年に監督に就任。降格を危惧する声を吹き飛ばして優勝を成し遂げると、'13年の連覇は大逆転で、そして3度目となる'15年は主力選手を引き抜かれながらも頂点にたどり着いた。「戦国J1」の象徴があのときのサンフレッチェであり、森保である。
「私は名将じゃないです。迷ってばかりだから“迷将”のほうじゃないですかね」
自分を引き上げないのは、昔も今も変わらないこの人の根底にあるものだ。
「まずは残留。J1に生き残ることを考えました」
彼がサンフレッチェの指揮官に就任する前、ミシャことミハイロ・ペトロヴィッチが6シーズンにわたってチームを率いていた。可変式を引っさげて攻撃的なスタイルを追求するミシャから、監督経験のないクラブOBへのバトンタッチは期待を膨らませるものではなかった。
