オリンピックPRESSBACK NUMBER

“日本最難関”東大の水泳部で「ある異変」…まさかの“日本インカレ9人出場&準優勝スイマーも出現”の衝撃「選手が続々覚醒」で過去最強になったナゼ 

text by

別府響

別府響Hibiki Beppu

PROFILE

photograph byBUNGEISHUNJU

posted2025/11/25 11:01

“日本最難関”東大の水泳部で「ある異変」…まさかの“日本インカレ9人出場&準優勝スイマーも出現”の衝撃「選手が続々覚醒」で過去最強になったナゼ<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

言わずと知れた日本の最難関大学である東京大学。その水泳部競泳チームが躍進を見せている理由は…?

 そんな折、たまたま知り合ったある東大の水泳部員からこんな声をかけられる。

「泳ぎたいなら本郷キャンパスにプールあるよ。学外の人でも申請すれば泳げるし、たまに泳ぎに来たら?」

 本郷は、当時の押切の自宅からもそれほど遠くはなかった。渡りに船とばかりに、2019年の秋頃から押切は、週に何度か練習生として東大のプールへと泳ぎに行くようになったのである。

ADVERTISEMENT

 ちなみに押切が東大のプールに泳ぎに行き始めた頃、東大の水泳部から日本インカレに出るような選手は、かろうじて部に1人いるかどうかというレベルだった。

 普段は早大でスポーツ科学を学び、時折、東大のプールで体を動かす――そんな生活を数カ月つづけていると、同じプールで泳ぐ東大の水泳部の選手たちからアドバイスらしきものを求められる機会も増えていった。

 その後は学業面が忙しくなってきたこともあり、泳ぎに行く機会は減った。だが、部員とは定期的に連絡を取り合っていたという。元日本代表のスイマーにアドバイスを求められる環境は、東大水泳部の選手にとっても魅力的なものだった。

2022年に部から「正式にコーチに…」の依頼が

 そんなやりとりを2年ほど続けていると、押切が早大の4年生になる直前、2022年の年明けに東大水泳部から「正式にコーチ業をやってくれませんか?」と依頼された。

 押切としても、自分のアドバイスで少しずつ記録を伸ばす選手を見るのは楽しかった。そんな思いもあり、「とりあえずはやってみようかな」という軽い気持ちでコーチを引き受けることにした。

 最初の1年間は押切がまだ学生だったこともあり、週に3回ほど練習を見ていたという。ただ、翌2023年に押切は早大を卒業。大手携帯キャリア会社へと就職したため、日々の会社業務もはじまった。それからは基本的には週末だけの「サンデーコーチ」という形になったが、部からの要請もありその後もコーチ業は続けることになった。

 こうして押切はこれまで競泳選手としてはまるで接点のなかった、東大という「非強豪大学」の水泳部に本格的にコミットするようになったのである。

 一方で、そこで押切が目の当たりにしたのは、これまでの自分の“常識”とはあまりにかけ離れた「衝撃的な環境」だった。

<次回へつづく>

#2に続く
「大学ベストって…どういう意味?」日大→実業団で日本代表も経験…“現役時代は水泳一筋”東大水泳部に就任の新コーチが耳にした「衝撃の一言」
この連載の一覧を見る(#1〜3)

関連記事

BACK 1 2 3 4
#東京大学
#松本恭太郎
#押切雄大
#持田隼人

水泳の前後の記事

ページトップ