オリンピックPRESSBACK NUMBER
“日本最難関”東大の水泳部で「ある異変」…まさかの“日本インカレ9人出場&準優勝スイマーも出現”の衝撃「選手が続々覚醒」で過去最強になったナゼ
text by

別府響Hibiki Beppu
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2025/11/25 11:01
言わずと知れた日本の最難関大学である東京大学。その水泳部競泳チームが躍進を見せている理由は…?
言うまでもなく、日本インカレは日本の学生競泳界では最高峰の大会だ。
当然、参加標準記録も相当にハイレベルで、ほとんどの出場選手が高校時代から全国大会の出場実績を持つ。その選手たちが強豪私大で切磋琢磨し、ようやくたどり着けるような舞台でもある。その舞台に、高校時代に競技実績などない選手がほとんどの東大チームが大挙して現れたのである。
果たして彼らの「覚醒」のウラには、一体どんな魔法があったのだろうか? 大きな理由のひとつが、ある若手コーチの存在だった。
「水泳一色」だった選手がなぜ…東大のコーチに?
ADVERTISEMENT
2022年から東大水泳部のコーチを務める押切雄大は、今年で32歳になった。
高校、大学時代の押切は、端的に言えば水泳一色の学生生活を送ってきた。
神奈川の日本大学高校時代は全国的には無名だったものの、平泳ぎでインターハイまでは出場。2012年に大学競泳界の超名門・日本大学へ進学後すると、そこで一気に才能が開花する。
3年時には日本選手権の200m平泳ぎで2位に入ると、同年のパンパシフィック水泳選手権、世界短水路選手権では日本代表として日の丸も背負った。
「楽しい水泳は高校までという感じで。大学以降はもう、とにかく結果を出さないと……と必死にやっていましたね。なんとか代表になって、世界水泳や五輪に出たい気持ちだけでした」
連日つづくハードなトレーニング。優先順位はどうしても競泳に比重が置かれる。
学業面でも押切は単位こそキッチリと取っていたが、「積極的に何かを学ぼうという姿勢ではなかったですね」と振り返る。周囲を見渡せば、授業に出ずとも教授陣の裁量で単位がもらえてしまうような部員も決して少なくないのが現実だった。
2016年に大学を卒業後は、航空関係の企業へと就職した。
そこで五輪の大舞台を目指したが、当時はリオ五輪とその後の地元・東京での五輪を控え、瀬戸大也や萩野公介といった「競泳黄金世代」がひしめき合っていた時代だった。押切のメイン種目である平泳ぎも、小関也朱篤や渡辺一平といった世界トップレベルの選手を倒さなければ代表の切符は手に入らない状況だった。
結果的に押切は、大舞台に手が届かなかった。


