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夏が華英を強くする。 

text by

井本直歩子

井本直歩子Naoko Imoto

PROFILE

posted2004/08/26 00:00

 背泳ぎは、最も代表争いが激しいと言われた種目だ。激戦を勝ち抜き8月19日から始まる200mに出場するのは、中村礼子と寺川綾。だがそのレースには、力からすれば彼女が出ていてもおかしくなかった。

 「ニュース見てて、アテネに行く人とここにいる私の差は、ほんとに大きいなって。ほんのちょっとの差だったのに、今はこんななんだって……」

 日本選手権から3カ月。伊藤華英は、そうつぶやいた。

 4月25日、五輪選考会最終日。前日の200m背泳ぎの予選、準決勝で、伊藤は大きく、滑らかな絶好調の泳ぎを見せていた。

 「シーズン始まってからほとんど完璧な練習ができていて、体調は、今思えば凄く良かったなと思います。200mの予選、準決は楽に12秒で、まぁいいかなあと思ってました。でもそのあとにどんどん、どんどん追い込まれて。決勝前の招集所(のテレビモニター)で人のレースが映ってて、それ見ただけで涙が出てきそうでした。

 私は前評判がすごく高くて、それでプレッシャーを感じてしまって。辰巳のプールが観客でいっぱいで、『みんなが私を見てる、いやだー』と思いました。生まれて初めての緊張というか、選考会はそういう風になるんだという覚悟ができてなくて。今までやってきたこととか、忘れちゃってましたね。ほんとにもう、隠れたかった。(寺川)綾とか、(中村)礼子ちゃんとも目も合わさなくて。自分でどうにかしなきゃいけないから、ホント孤独でした。早くみんなと喋りたい、と思った」

 レース開始。飛び出したのは、5コースの伊藤だった。100mをターンして、伊藤先頭、1分03秒04。自己ベストの2分10秒95を出した昨年の世界選手権の前半のラップが1分04秒43だから、どれだけ速いかが分かる。明らかに“無謀”な飛び出しに見えた。

 「レースはあまり覚えてないけど、スタートして、すごいスピードで100mのターンしたのは覚えてます。ヤバいと思いました。行き過ぎなのはわかってましたけど、止められなかった。もう、逃げたいっていうのが先でしたね。これが終わったらひとりになれるんだって。

 100mターンして、そこからすごくきつかったですね。もう最後25mは、頑張りたくないと思いました。何となく、綾がいってるな、というのが見えたんですけど、『争いたくない』と思いました。私の理想としてはやっぱり優勝して、日本新を出してオリンピックに行きたかったんですけど、そんな風に争ってて、『もういやだー』という気持ちだったんです。完全に逃げてました。ゴールして掲示板で3番って見た瞬間は、(五輪に)行けないというよりも終わってよかった、とほっとした。緊張が全部サーッとなくなりました。でも表彰台に立ったら、それまでの弱気だった私自身を、『いやだ』と感じた」

 結果は3位。プールサイドのセレモニーでは、五輪代表に選ばれた選手たちが眩しい笑顔を振りまいていた。その裏の薄暗いサブ・プールで、伊藤はひとり、涙を流していた。

 「日本選手権後、10日間オフにさせてもらって、ちょっと泳いで、また1週間ぐらい休んでみたいな感じでやって、家でほんとにボーッとしてました。犬と戯れたりして。すごく時間がゆっくり流れてて、自分にはそういう時間が必要だなと思いました。ずーっと突っ走ってきて、今シーズン休んでなかったから。学校も普通に行って、掲示板見てテスト何限だとかいって、普通にやってました。

 テレビつけると、五輪の番組とかCMとか嫌でも見ちゃって、その度に涙が……。“がんばれニッポン”とかもイヤですねぇ。がんばっとけよ、みたいな(笑)。自分が出てるCMも、やめてほしかった。終わった瞬間に流さなくてもいいのに、と思った。

 試合が終わってから数日後に、(コーチの)鈴木陽二先生と食事して、『今年は(9月の)インカレだ。帰ってきた五輪メンバーと戦うぞ』って言われて。『俺は(アテネに)行くけど、こっちで頑張れ』って。それで、『4年後だぞ』って」

(以下、Number609号へ)

寺川綾
伊藤華英

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