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「“島根のビリギャル”と呼ばれて(笑)」3歳からラグビー→全国制覇も経験の女子選手が“ある名門大”進学で受けた衝撃「マネージャーとしてなら…と」 

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大友信彦

大友信彦Nobuhiko Otomo

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photograph by(L)Shigeki Yamamoto、(R)Nobuhiko Otomo

posted2025/11/23 11:00

「“島根のビリギャル”と呼ばれて(笑)」3歳からラグビー→全国制覇も経験の女子選手が“ある名門大”進学で受けた衝撃「マネージャーとしてなら…と」<Number Web> photograph by (L)Shigeki Yamamoto、(R)Nobuhiko Otomo

3歳からラグビーをはじめ、高校時代はU18日本代表候補にもなった青木蘭さん。現在は29歳になった

 もうラグビーはやめようか……そう思ったことは数えきれないほどあった。24歳のときに結婚し、27歳になった2024年9月に長女を出産。ラグビーのピッチを離れていた。

 それでも長女が1歳を迎える2025年9月、青木蘭はピッチに帰ってきた。

「競技復帰を決めたのは、長女を出産した時です。分娩台の上で『もう1回、ラグビーを本気でやろう』と決めました。夫が娘を抱っこしながら、試合に出ている私に手を振っている絵が、ふと頭に浮かんだんです」

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 女子ラグビーという言葉をほとんどの人が知らなかった時代から、五輪種目採用で周囲が盛り上がった時代、それでも競技続行は難しかった時代、そして年齢を重ねる過程で迎えたライフプランの変化――数え出したら一晩でも終わらないような逆境を克服し、結婚出産を経てピッチに戻った思いを聞いた。

兄の影響で3歳からラグビーを始めた

――ラグビーを始めたのは3歳のときですね。何がきっかけだったのですか。

青木 父が若いころにやっていた影響で、私が生まれるよりも前から兄2人が通っていた茅ヶ崎ラグビースクール(RS)に一緒に通い始めました。幼稚園の頃は、何も考えずに兄たちと一緒に通っていました。好きも嫌いもない。3番目の末っ子長女にとっては唯一の選択肢でした。

 そのころは、はっきり言ってラグビーは嫌いでしたね。周りはみんな男の子。男の子は基本的にがさつじゃないですか(笑)。女子だけのバレーボールチームや、クラシックバレエに通っている子が羨ましかった。でも3人兄妹の末っ子には何の権限もないんです(苦笑)。

 初めてラグビーが楽しいと思ったのは小学6年のときです。夏合宿の練習試合で、初めて男の子に勝った。タックルで男の子を仰向けに倒したんです。コーチが「いいぞラン! すごいタックルだ!」と褒めてくれた。嬉しかったですね。

 3歳でラグビーを始めてから8年、私にはラグビーで褒められた記憶がなかったんです。褒められたのは「休まずに練習に来てくれて偉いね」といった、競技とは関係ない話だけ。かといって怒られたこともなかった。大事にされていたのだと思う。周りの男の子たちも、怪我をさせないようにとか、がさつなりに気を使ってくれていたんだと思いますね。

 ただ、怒られも褒められもしないと、目標もなくなるんです。周りの男の子たちは、ラグビーが上手になって、強い高校や大学へ行きたい、中には日本代表になりたいと大きなことを言う子もいたけれど、女の子にそんな未来の夢は描けなかった。

 小学校高学年になった頃からは、ラグビースクールへ行くと「蘭はラグビーいつまでやるの?」と聞かれるようになったし、両親は保護者仲間から「蘭ちゃんにはいつまでラグビーやらせるの?」と聞かれていた。女の子はラグビーをやめるものと決めつけられているんですね。8年かけて、やっとラグビーが好きになってきた矢先だったのに……。当時のポジションはフォワードのロックで、スクラムでは男の子のお尻とお尻の間に頭を突っ込んでいました。思春期女子にとってはビミョーな役目ですが(笑)。でもラグビーは楽しかった。楽しさがわかり始めてきたころだったんです。

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