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「わずか1年で退団…」身長192cm大型セッター永露元稀“電撃移籍の真相”「成長できる場所が広島サンダーズでした」背景に“ある人物”の助言 

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2025/10/24 11:01

「わずか1年で退団…」身長192cm大型セッター永露元稀“電撃移籍の真相”「成長できる場所が広島サンダーズでした」背景に“ある人物”の助言<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

SVリーグ開幕会見で広島サンダーズの代表として登壇した日本代表・永露元稀(右)。開幕戦は古巣でもあるウルフドッグス名古屋と対戦する

 名門・東福岡高校出身。中学時代までアタッカーだったが、当時からポテンシャルを秘めていた永露を見た元セッターの藤元聡一監督は、将来的に“世界で戦える大型セッター”に育てることを考案した。

 高校の3年間でどんな指導をして、そこから先へどうつなげていくか。真摯に熱い言葉で未来を語る藤元監督に両親は「この人のもとに息子を預けたい」と願った。しかし、当の本人は「練習がきつい強豪校」というイメージが付きまとい、首を縦に振らなかった。最終的には「しゃあなしだった」と周囲に押し切られる形で入学を決めた。

「藤元先生だけでなく、親からも(中学の)担任の先生からも説得されてもう逃げ場がなくなった。だから最後は藤元先生に対して、ふてくされながら『わかりました。行きます。たかが3年間でしょ』って(笑)。そのとき中3ですよ。いまだに先生からは『あの顔は一生忘れられない』と言われます」

高校三冠、セッター転向は大学から

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 入学後、永露の想像通り、東福岡の練習はきつかった。「慣れるまでは毎日、筋肉痛だった」という思い出も決して大袈裟ではない。量と質、どちらも満たされた練習を重ねる中で、永露はアタッカーとしてだけでなくセッターとしての技も磨いた。

 入学翌年の2013年、当時高校2年だった永露はU19世界選手権に出場する日本代表に選出された。セッターには1学年上の大宅真樹がいたが、永露と同じく当時セッター転向も視野に入れていた石川祐希と共にツーセッターとして併用された。

 さまざまなポジションをこなしながら成長していく永露は、高校3年時にミドルブロッカーとして出場が主だったが、インターハイ・国体・春高と高校三冠を達成。本格的にセッターに転向したのは、東海大学に入学してからだった。

【次ページ】 移籍決断の背景にフランス代表セッターの加入

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