- #1
- #2
野ボール横丁BACK NUMBER
大谷翔平世代の「消えた天才たち」のウラで中日ドラフト3位…超無名選手はなぜプロ野球に行けた? 1人だけ補欠「バカにされた」150cm中学1年生、逆襲が始まった日
text by

中村計Kei Nakamura
photograph byKYODO
posted2025/10/18 11:04
2020年から4年間、中日でプレーした岡野祐一郎
ちなみにその頃の岡野の夢はこうだった。
「将来の夢を調べるみたいな授業のとき、自分は公務員を調べました。小学校のときはプロ野球選手になりたかったんですけど、中学では補欠過ぎて無理だなと思っていたので。田舎の人間って公務員になりたがるじゃないですか」
ところが二つの進路で悩んでいるとき、突然、目の前に第三の道が現れた。宮城県内のシニアチームでコーチをしていた叔父から福島の聖光学院の練習体験会に参加してみないかとの提案を受けたのだ。聖光学院は福島県の絶対王者だ。そのときも丸3年間、県内で負けなしだった。予期せぬ誘いに岡野の好奇心がうずいた。
ADVERTISEMENT
「甲子園にしょっちゅう出ているような高校に行こうとは思っていなかったので、一度、見てみたいなと思って」
そして、聖光学院を訪れるなり、練習中の雰囲気に心をわしづかみにされた。
「すごいなって。もう、あの感じが。熱量というか。あそこ、気迫がヤバくないですか?こういう世界もあるんだなっていうのを感じて。ここで野球をやりたいなと思ってしまったんです」
聖光学院を率いる斎藤智也は、実直で、ユーモアがあって、真っ赤に焼かれた鉄のように熱い男である。岡野が言う。
「(聖光は)よくも悪くも斎藤教なんで。練習中、おまえらはやり切る力がないからダメなんだって追い込まれて、過呼吸になって倒れてしまう選手とかもいました」
なぜ強豪・聖光学院に進学?
私も何度となく聖光学院のグラウンドの雰囲気を体感したことがある。東日本大震災のあと、学校から約65キロの地点にある福島第一原子力発電所から大量の放射性物質が放出されたときも、新型コロナが流行し甲子園という大目標を失ったときも、聖光のグラウンドだけは「いつも通り」だった。聖光の部員はそこだけ世間から隔絶されているかのように、変わらぬ熱量でボールを追っていた。
積極的な選手勧誘をしない聖光は、来る者は拒まずというスタンスだった。だが、岡野はあえて自分に条件を課した。
特待でなければ行かない――。
書籍『さよなら、天才 大谷翔平世代の今』(文藝春秋)。大谷に「負けた」と言わせた少年。大谷が落選した楽天ジュニアのエース……天才たちは、30歳になってどうなったのか? 徹底取材ノンフィクション。(書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします)

