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野ボール横丁BACK NUMBER
大谷翔平世代の「消えた天才たち」のウラで中日ドラフト3位…超無名選手はなぜプロ野球に行けた? 1人だけ補欠「バカにされた」150cm中学1年生、逆襲が始まった日
text by

中村計Kei Nakamura
photograph byKYODO
posted2025/10/18 11:04
2020年から4年間、中日でプレーした岡野祐一郎
「他のみんながすごかったというのもあるんですけど、自分、ちっちゃかったんですよ。小学6年生のときが145センチくらい。中学1年生になっても150センチぐらいだったんで。中学時代って、成長の早い子と遅い子だとぜんぜん力が違うじゃないですか。力が強いと打ったり投げたりすることだけでなく、足の速さとかも含めて全部違うと思うんです。三浦拓実もでかかったですし」
「なんで野球続けてんの?」
石巻中央シニアの大谷世代の中で、もっとも将来を有望視されていたのはエースで四番の星隼人だった。星はのちに仙台育英の「三番・レフト」として甲子園にも出場している。岡野は淡々と振り返る。
「星君がいちばんすごかったです。1年生のときから3年生の試合に出たりしていたので。バケモンみたいでした。あと三浦君もすごかったですね」
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同級生なのに思わず「君」を付けてしまうところに当時の岡野のチーム内におけるポジションがうかがわれた。石巻中央シニアは星と三浦が投手陣の柱で、岡野は三番手、あるいは四番手といってもいい存在だった。出場機会はほとんど巡ってこなかった。
「いちおうピッチャーやってたんですけど、試合に出たかったので、どこでもやるというスタンスではいたんです。でも結局、出られなかったですね。一回、レフトで出たことがあったかな。ずっと2、3人いる控えの一人でした」
その境遇があまりにも不憫に映ったのだろう、母親に「やめる?」と聞かれたこともあれば、同級生に「なんで野球続けてんの?」「試合出ないのになんで来たの?」とからかわれることもあった。だが、岡野の気持ちがギブアップの方に振れることだけはなかったという。
「僕が変わってるのかもしれないですけど、なんでやめなきゃいけないの? ぐらいな感じで。野球自体は楽しかったですし、いつか見返してやるぞというのはすごくあったので」
そんな岡野にようやくチャンスが訪れる。中学最後の大会だった。
「たまたま他の3人のピッチャーがケガしたり、突然ストライクが入らなくなったりして、先発させてもらったんです。そうしたら抑えちゃって。次の試合も勝ったんですよ。それで3試合目に仙台東部リトルシニアっていう強いところにボコボコに打たれて終わったんです。でも、野球ができるだけで嬉しかったですね」
岡野のプレーヤーとしての成長曲線は、遅れてやって来た身体の成長カーブと重なっていた。
「中3になってから、えげつないくらいでかくなったんです。10センチ近く大きくなったんじゃないですかね。夏休みが終わったら目線が変わってくるぐらいの感覚がありました。それこそ星君とかと同じくらいになっていて。卒業するときには175センチぐらいになっていました」
将来の夢は「公務員」…揺れる進路決断
中学卒業後の進路は当初、二つ考えていた。一つは、三浦ら石巻中央シニアのメンバーとともに地元の石巻工業へ入る道。もう一つは、母親のアドバイスに従って私立大学の付属校を一般受験する道。そもそも高校は一般受験するつもりだったので、学校の試験もきちんと取り組んでいたし、塾にも通っていた。

