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野ボール横丁BACK NUMBER
「大谷翔平は知らない。でも渡辺は超有名でした」東北No.1だった天才投手14歳…大谷が“落選した”楽天ジュニアのエース「プロ野球を諦めるまで」
text by

中村計Kei Nakamura
photograph byJIJI PRESS
posted2025/10/14 11:03
大谷翔平と同学年で、「東北の天才」といわれていた渡辺郁也(仙台育英時代)
〈僕、小学校のときには楽天ジュニアのセレクションで落とされていますし、僕よりすごいと思う選手は東北にもたくさんいました〉
この年の選手選考は主に楽天の専属スタッフが試合等を視察した上で決定していた。なので、おそらく大谷が言う「セレクション」は改めて選考会が開催されたということではなく、単純に選考という意味で使っていると思われる。
大谷がわざわざそう言うくらいなので、腕に覚えのある東北の小学生にとって、楽天ジュニアに選ばれるか否かはそのときの自分の位置を確認するための重要な指標になっていたのだろう。
「仙台育英の監督室に大谷がいたんです」
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渡辺が大谷の存在を知ったのは中学3年生になってからだった。大谷の名は東北の中学硬式野球界では有名だったが、小・中学校と軟式野球畑を歩いてきた渡辺とはそもそも接点がなかった。
「5月か6月だったと思うんですけど……」
渡辺はそう振り返る。場所は仙台育英高校野球部のグラウンドだった。
「監督室に入ったら、大谷がいたんです。僕は知らなかったんですけど、楽天ジュニアのチームメイトだった伊藤(健太)も一緒にいて、『あいつ、超球はえーよ』って。伊藤は中学時代、硬式をやってたんで知ってたんです。大谷は相当でかかったですよ。180センチ以上あったんじゃないですか。ただ、すごい細くて。大谷はユニフォーム姿だったような気がするんですよね。だから、練習に参加してたのかな。お父さんも一緒でした。パッと見かけただけなんで、話まではしてないです」
須江監督「渡辺郁也は東北一の選手ですから」
渡辺は小学校を卒業したあと、中学では硬式野球をやるつもりでいた。だが、軟式野球部のある秀光中の須江航から熱烈なオファーを受け、半ば根負けする形で入学を決断したのだった。
「父親はずっと断っていたらしいんです。(息子は)行く気ないよ、って。でも、須江さんが何回も何回もうちまで来て」
須江は新興野球部だからといって遠慮することなく、試合や練習を観つつ、頃合いを見計らっては渡辺の父親の修理工場に押しかけてアタックし続けた。須江が回想する。
「最初の頃、いつもミズノのウェアを着ていたので、ミズノの人かと思われていたらしいです。そうしたら、学校の先生だった、と。お父さんにはワードで作った資料を持っていって、こういう学校で、こういう思いでやりたいんだ、と。郁也君はゆくゆくは仙台育英に進学してもらって、大学やプロに進めるような人材にするつもりです、という話をさせてもらいました。もともとお父さんは私立中学で勉強もやらせたいという希望をお持ちだったようで、話だけは聞いてくれたんです。
ただ、渡辺郁也は東北一の選手ですから。最初は、なんでできたばっかりの野球部に行かなきゃならないんだっていう感じではありました。ただ、この子をこんな風に育てたいんだという話を何度も何度もさせてもらっているうちに、最後はお父さんがその熱意を感じ取ってくれたみたいです」
渡辺がその頃の須江の指導スタイルを述懐する。

