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獅子の遺伝子BACK NUMBER
巨人から戦力外通告で「もう最後かな」→トライアウト2本塁打で大逆転…4度の“去就未定”を経験した西武・小関竜也2軍監督が若い選手に伝えたいこと
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph byNumberWeb
posted2025/09/29 11:03
現在はファーム監督として若手育成に奮闘する
「ライオンズは僕の野球人生の下地を作ってくれたチームでした。それとは別に、巨人は試合に入る前の声の掛け方一つとっても独特のピリッとした雰囲気があった。1つの試合、1つのプレーにもマスコミやファンからの反響が大きくて、プレッシャーがある中でプレーするやりがいというものを経験できたのは大きかったと思います」
戦力外通告…トライアウトで意地の2発
2年目の2007年は一軍出場5試合に終わり、2007年10月30日に戦力外通告。
「そういう可能性はあるだろうなとは思っていました。ただ時期も時期なので、とりあえずトライアウトを受けるしかない。落ち込んでいる暇はなかったです」
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通告から1週間後に行われたトライアウトでは、覚悟を決めて打席に立った。実戦形式のシート打撃で、投手6人を相手になんと2本塁打。巨人での2年間では本塁打1本だった男が、長打でアピールした。
「滅多に打たないのにね(笑)。正直、ひょっとしたらもう最後かな、という思いもあったんです。ユニフォームを着てバットを持って打席に立つのも、最後になるかもしれない、と。だからとにかくピッチャーとの勝負を純粋に楽しもう、という思いで打席に立ったら、打てましたね」
自身に代わって先発の内川が大ブレーク
翌日、横浜ベイスターズ(当時)の編成担当者から電話がかかってきた。「ベイスターズでプレーしませんか」。二つ返事で「お願いします」と頭を下げた。
横浜では開幕戦に「7番レフト」で先発すると4試合で15打数9安打と好スタートを切り、外野のレギュラーを奪うかに見えた。しかし、4月9日の巨人戦で相手先発の左腕・内海哲也への対策として右打者の内川聖一が代わってレフトで先発。この抜てきをきっかけに、当時25歳だった内川が大ブレークを果たす。


