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獅子の遺伝子BACK NUMBER
巨人から戦力外通告で「もう最後かな」→トライアウト2本塁打で大逆転…4度の“去就未定”を経験した西武・小関竜也2軍監督が若い選手に伝えたいこと
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph byNumberWeb
posted2025/09/29 11:03
現在はファーム監督として若手育成に奮闘する
「2安打したその日から、もう打つわ打つわ(笑)。ポテンシャルが高い選手ということは知っていましたが、まさにコツを掴んでブレークしていく姿というのを間近で見ました。当時の横浜は、村田(修一)や吉村(裕基)など才能あふれる若手選手がいて、石井琢朗さんら質の高いベテラン選手がいて、すごく勉強になりました」
渡り歩いた3球団「本当に良かった」
大矢明彦監督の就任2年目のシーズンでチームは6位と苦しみ、シーズン中盤以降は出番が減った小関さんは2年連続となる戦力外通告を受けた。しかし、指導者となった今振り返ってみると、3球団目となる横浜での1年は刺激的だったと振り返る。
「振り返ると色々なカラーの3球団を経験できたということは自分にとって貴重な経験になりました。それぞれの球団の文化があって、練習のやり方や選手たちの技術的な特徴も含めて全然違う。選手、監督、コーチ含めて色々な方と出会えたことも本当に良かったと思います」
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横浜を退団後も、野球への情熱は消えなかった。再びメジャーを目指し、2009年2月下旬に渡米。アリゾナのツーソンでコロラド・ロッキーズの合同トライアウトを受けた。各国から集まった若手選手に混ざり、32歳のベテランが走力テストや実戦形式で必死にアピールした。
若手に混ざり…最後のメジャー挑戦
「シートバッティングでは最後、レフトにいいヒットを打ちましたけど(笑)。それが現役で最後のヒットだったかな。その日のうちに電話がかかってきて、『残念ながら契約できません』と。そこでもう、自分の中でやり切ったと思いました。体は元気だったのでプレーし続けることはできましたが、第一線のところでできないのなら、もうスパッと諦めようと」

