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獅子の遺伝子BACK NUMBER
「ビザの枠がない」契約目前で白紙に…西武の選手会長が自由契約→メジャー挑戦→浪人…アイドル愛娘の始球式で話題の指揮官「波乱万丈人生」
posted2025/09/29 11:02
2002年の小関竜也。松井稼頭央との1、2番コンビはリーグ優勝の原動力となった
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
JIJI PRESS
埼玉西武ライオンズの小関竜也・ファーム監督。柔和で温厚なイメージとは対照的に、歩んできた野球人生は波乱万丈だ。自由契約からのメジャー挑戦、2度の戦力外通告……。今月17日には、アイドルグループ「カントリー・ガールズ」の元メンバーでアーティストの長女・小関舞さんとの“父娘始球式”でも注目を集めた指揮官が、七転び八起きの歩みを振り返った。〈NumberWebインタビュー全2回の前編/後編を読む〉
ファーム監督として、子どもと同じ年頃である若獅子たちの成長を見守る。
「プロの世界はやっぱり、コツを掴めるかどうかだと思うんです。コツを掴めるまでなんとか辛抱して、ひたすら練習するしかない。試合に出て、失敗して、練習して、コツを掴んで、また試合に出て……その繰り返しです。右肩上がりにはいかない選手でも、いつか何かを掴んでパッと上がる時が来る。それをひたすら信じて取り組んでもらいたいですね」
3年目まで出場2試合…苦しんだ若手時代
若手時代は自身も雌伏の日々を過ごしていた。1995年にドラフト2位で西武に入団したが、プロ3年目まで一軍出場は2試合のみ。國學院栃木高時代は投手だったこともあって、バッティングは特に苦労したという。
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「2年目まで二軍でも2割台でしたし、自分の形やタイミングも全然見つからなかった。ボール球を振らされて、あっという間に追い込まれて三振ばかり。最初の頃は、打席に立つのが本当に不安でした」
若獅子寮に隣接する室内練習場で、夜な夜なバットを振り込んだ。
「ずっとマシンを打っていましたね。明日打席に立った時、自分が抱えている怖さを払拭してちゃんとピッチャーと勝負できるように。次の日またやられて練習して、という毎日でしたが、その中で少しずつボールが見えるようになったり、振る力がついてきたり、という感じでした」

