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獅子の遺伝子BACK NUMBER
巨人から戦力外通告で「もう最後かな」→トライアウト2本塁打で大逆転…4度の“去就未定”を経験した西武・小関竜也2軍監督が若い選手に伝えたいこと
posted2025/09/29 11:03
現在はファーム監督として若手育成に奮闘する
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
NumberWeb
埼玉西武ライオンズの小関竜也・ファーム監督。柔和で温厚なイメージとは対照的に、歩んできた野球人生は波乱万丈だった。自由契約からのメジャー挑戦、2度の戦力外通告……七転び八起きの歩みを振り返った。〈NumberWebインタビュー全2回の後編/前編から読む〉
ゴールデン・グラブ賞を獲得し西武で選手会長を務めていた29歳の人生は、わずか4カ月で怒涛の展開を迎えた。自由契約→メジャー挑戦→マイナー契約が突然白紙に……。“浪人”状態のまま2006年のプロ野球開幕を迎えた4月上旬、救いの手を差し伸べたのは当時、第2次政権の就任1年目の巨人・原辰徳監督だった。
たった1人の「入団テスト」
春先に亀井義行、高橋由伸ら外野手に怪我人が出ていたこともあり、急きょジャイアンツ球場で入団テストが行われることになった。原監督ら首脳陣がずらりと見守る中で、送球テストやフリー打撃など2日間にわたってプレーを披露。4月17日になって正式に入団が決まり、新しい背番号「49」をつけた小関さんは「一度は死んだ身。喜びを噛み締めながらプレーしたい」と誓った。
「突然『体動かせるか?』と連絡が来て、『動かせます。すぐにでも出来ます!』という感じで、テストが決まりました。もう本当にありがたかったですよね。自分としては、今までやってきたことは捨てて、一からやるんだというくらいの気持ちでした」
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新天地でこの年、56試合に出場。西武時代の11年間では4度のパ・リーグ優勝を経験したが、伝統を誇る巨人の雰囲気は、やはり独特だったと振り返る。

