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獅子の遺伝子BACK NUMBER
「ビザの枠がない」契約目前で白紙に…西武の選手会長が自由契約→メジャー挑戦→浪人…アイドル愛娘の始球式で話題の指揮官「波乱万丈人生」
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph byJIJI PRESS
posted2025/09/29 11:02
2002年の小関竜也。松井稼頭央との1、2番コンビはリーグ優勝の原動力となった
資料も自作しつかんだトライアウト
自由契約選手として公示されたのが12月2日。そこから、メジャー挑戦を宣言して移籍先を探した。と言っても、実はもともとメジャー志向があったわけではなかったという。
「絶対にメジャー、という確固たるものがあったわけじゃないんです。自由契約になった時期が遅くて、日本の球団はすでに編成が固まっていたという事情もありました。とにかく自分の働ける場所を探す、守備固めでもなんでも滑り込めれば、という思いでした」
現在ではメジャー志向がある選手は早々に代理人と契約して移籍するための下地を作る。しかし、突然自由契約となった小関さんは急いで代理人を見つけて契約。メジャー球団に売り込むための資料も自ら作成したという。ようやくメジャーへの足掛かりができたのは、年が変わった1月末。すでにプロ野球のキャンプインも間近に迫っていた。
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「ミルウォーキー(・ブルワーズ)のスカウトが見てくれることになって、1人で野球道具を持って渡米しました。今のようにスマホが普及しているわけではないので、自分で色々と調べてロサンゼルスの小さな球場に行ってトライアウトを受けた。球団関係者が数人いる前で、選手は僕1人でプレーを見てもらう、という感じでした」
急転直下…ビザの枠が足りないと
数日後、ブルワーズからマイナー契約を結ぶという連絡が届いた。ようやく、アメリカへの道が拓ける。交渉がまとまり、あとはメディカルチェックを受けるだけ、という状況でいったん日本に帰国して渡米準備を進めていた最中、事態は急転した。
「マイナー選手のためのビザの外国人枠が足りないと急に言われました。枠が空くかもしれないから、と言うのでその可能性に賭けて、施設を借りて体を動かしながら待っていたんですけどね……」

