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「ビザの枠がない」契約目前で白紙に…西武の選手会長が自由契約→メジャー挑戦→浪人…アイドル愛娘の始球式で話題の指揮官「波乱万丈人生」 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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posted2025/09/29 11:02

「ビザの枠がない」契約目前で白紙に…西武の選手会長が自由契約→メジャー挑戦→浪人…アイドル愛娘の始球式で話題の指揮官「波乱万丈人生」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2002年の小関竜也。松井稼頭央との1、2番コンビはリーグ優勝の原動力となった

 当時、マイナー契約の選手については、各球団とも就労ビザの発給枚数に制限があった。契約が2月中旬にずれ込んでいたこともあり、チームとしての枠がすでにいっぱいになっていたのだ。3月中旬、契約は一旦白紙に戻った。他球団との交渉も探ったが、そうこうしているうちに日米ともに開幕を迎え、当時29歳だった外野手は所属先がないままシーズンに突入してしまった。

長女は4歳「不安はありましたが…」

「ミルウォーキーの住むところをどうしようとか、通訳もつかないから英語もしっかり勉強しないと、とか思っていたんですけどね。多少の可能性を残しながら最後まで待ちましたが、最終的に4月入ってから『無理です』と……」

 一度は入り口に立ちながら、無情に途絶えた夢への道。当時、長女の舞さんは4歳。一家の大黒柱が路頭に迷う可能性もあったが、小関さんはもはや腹を括っていたと振り返る。

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「なるようにしかならない、みたいな。家族もそこは受け入れてくれていました。生活が立ちいかなる不安はありましたが、その時はもう勢いで突き進むしかない、という感じでした」

 “浪人状態”となって数週間後、一本の電話が届いた。手を差し伸べたのは、巨人・原辰徳監督だった。

〈つづく〉

#2に続く
巨人から戦力外通告で「もう最後かな」→トライアウト2本塁打で大逆転…4度の“去就未定”を経験した西武・小関竜也2軍監督が若い選手に伝えたいこと

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