JリーグPRESSBACK NUMBER
驚きの日本代表選出「スタメンで出てない選手が…いいのか?」大関友翔20歳が森保監督に聞いた“本当の評価”…「中村憲剛に憧れた少年」15年の成長秘話
text by

いしかわごうGo Ishikawa
photograph byShigeki Yamamoto
posted2025/09/25 11:35
川崎フロンターレの大関友翔。20歳の若さで日本代表にたどり着いたMFの“ルーツ”とは
一度は“落選”したフロンターレの下部組織に
兄の影響で始めたサッカーに夢中になった。気がつけば、ゴールを奪うことよりも、味方に点を取らせるパスを出すことに喜びを見出すようになっていた。頭の中で描くプレーの理想像は、いつも中村憲剛だ。
「憲剛さんがうますぎて、『こんなすごいパスを出せるんだ』って自然と憧れてました。サッカーを知っていくにつれて、どんどん大好きになりましたね」
小学生時代は身体が小さく、卒業時点でも身長は148cmだった。だが中村憲剛も小柄だったことを励みに練習に打ち込んだ。
ADVERTISEMENT
「憲剛さんの幼少期の写真や映像を見たら、自分と同じような体型で親近感が湧きました。それでもプロになってこれだけ活躍できる……すごく勇気をもらってましたね」
小学3年生のときに受けた川崎フロンターレのエリートクラスのセレクションには落選した。だからといってフロンターレ愛が薄れることはなかった。むしろ、自分が落ちたことで「フロンターレってすごいんだな」とより憧れが強まったほどである。
4年生からはFC多摩ジュニアに入り、ジュニアユースを含めた6年間、みっちりと基礎技術を身につけている。線が細く身体をぶつけられると倒れてしまうので、相手にボールを触らせない技術を磨いた。相手の逆を取る動きやドリブルを意識するようになったのもこの頃だ。
中学を卒業する頃には身長も174cmまで伸びていた。フィジカルの成長とともにプレーの幅も広がっていき、ダイナミックな展開力や技術を生かした意外性のあるスタイルを確立していく。
次第に大関友翔の名前は知れ渡っていき、中学3年生のある日、憧れのフロンターレU-18にスカウトされた。「めちゃくちゃ嬉しかったですね」と振り返るその言葉には、強い実感が込められていた。
クラブのエンブレムを纏ったユース時代は、高井幸大や松長根悠仁らと共に鍛錬の日々を過ごしている。現役を引退していた中村憲剛が練習指導に訪れて「大関くん」と呼ばれたときは、天にも昇る気持ちになった。幼い頃から憧れていた人物に名前を呼んでもらったのだ。嬉しさのあまり、練習後には父親に連絡したほどだった。

