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甲子園の風BACK NUMBER
「一度だけ、僕の一言に比嘉公也がキレて…」沖縄尚学高監督の知られざる大学時代…プロになった先輩の感謝「“あのこと”がなければ今の僕はない」
text by

二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/09/26 17:01
今夏の甲子園優勝を果たした沖縄尚学高の比嘉公也監督。センバツ優勝投手として入学しながら学生コーチになったその大学時代を、先輩の木村昇吾氏が語った
「甲子園で活躍どころか、センバツ優勝ピッチャーですからね。“尖ってる”というか、ちょっと勘違いしたところがあったって別におかしくないじゃないですか。でも公也は、まったく尖ってなかったですね(笑)。
あの頃はまだ1年生が先輩たちの分の洗濯をやったり、スパイク磨きをやらされたりという時代で、2年生になった僕たちがそのことを1年生に教えていました。でもセンバツ優勝ピッチャーにこんなことやらせてええんか、って正直思いましたよ」
木村がキャプテンとなって1年生への雑用押しつけをやめるのは、後の話。上下関係の力学が働いていたこの頃も、比嘉は嫌な顔ひとつせず雑用仕事をこなしていたと木村は記憶している。
大学ではほとんど投げなかった比嘉
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ポジションが違うため、練習では絡むことがさほど多くない。それにしても、木村が比嘉の投球を見たことはほとんどなかった。
「どんな球投げんのやろ、とはずっと思っていました。でも(入学直後に)左ひじを壊して、僕の印象に残っていないくらい投げていないんですよ。時期は覚えていないのですが、公也が1年のときにはもう、沖縄に戻って指導者になるということを本人から聞いていました。もう野球をあきらめてしまうのかという思いと、もう次の道を決めたのかっていう思い、その両方がありました」
サウスポーの比嘉が公式戦に登板したのは2年秋季リーグでの1イニングだけ。学生生活では高校社会(公民)の教員免許取得を目指し、学業にも力を入れていく後輩の姿があった。
木村が最上級生になってキャプテンに就任した2002年、比嘉は学生投手コーチに転身する。指導者になるという目標を聞いていただけに、木村が驚くこともなかった。

