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「負けたら体育館がガラガラになった」33歳柳田将洋が今も忘れない“男子バレー低迷期”の記憶「これからの選手は突出した武器が必要になる」
text by

田中夕子Yuko Tanaka
photograph bySankei Shimbun
posted2025/09/22 11:05
リオ五輪の出場権を逃し、ミックスゾーンで取材に応じる石川祐希と柳田将洋(2016年撮影)
完璧に近いかたちでチームが機能したワールドカップとは対照的に、リオ五輪予選を前に日本代表は戦い方を模索していた。戦い方が定まらず、柳田の「これで勝てるのか?」という不安は的中した。
初戦から些細なコンビのズレや、ディフェンスの連係ミスを露呈。試合が始まると、うまくいかないことばかりに目が向いた。中国、オーストラリア、イランとアジア勢にも敗れ、五輪出場の道が閉ざされた。「これがキャリア最後のオリンピック」とすべてをかけて臨んでいた米山裕太や永野健ら先輩たちの姿を目の当たりにした時、柳田は初めて五輪の重さを理解した。
「このままじゃダメだ、と。そこからプロになる、海外へ行くと決めて動き出したので、自分にとっては大きな転機になった。今の礎になった時期でもありました」
日本代表の転機となったブラン来日
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翌2017年にサントリーを退団し、プロ契約選手としてドイツへ。世界で戦うために“心・技・体”、そして、“知”を磨いた。個の変化に着手した柳田が真の意味で「日本のバレーボールが変わった」と実感したのは、中垣内祐一新監督のもとフィリップ・ブランがコーチに就任してからだ。後に監督としてパリ五輪を率いる名将の印象を明かす。
「とにかく指摘が細かい。これはダメというプレーがあればブランが最初にキレるんです。でも直後にフラットな雰囲気に戻すし、逆にチームが落ちていると感じれば空気を変える。めちゃくちゃ頑固な面もありましたけど、それぞれが何を遂行すべきかはブランの口から明確に伝えられるので、経験も年齢も関係なく競争が生まれる。あの頃から、全然違うチームになりました」
どれだけ実績があろうと、定められた基準がクリアできていないと判断すればメンバーから外す。それは、柳田にとっても対岸の火事ではなかった。
「自分もいつそっち側に行くかわからない、というプレッシャーは常にありました」


