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「負けたら体育館がガラガラになった」33歳柳田将洋が今も忘れない“男子バレー低迷期”の記憶「これからの選手は突出した武器が必要になる」
posted2025/09/22 11:05
リオ五輪の出場権を逃し、ミックスゾーンで取材に応じる石川祐希と柳田将洋(2016年撮影)
text by

田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
Sankei Shimbun
◇◇◇
この夏、33歳になった柳田将洋には忘れられない光景がある。
2015年のワールドカップ。開幕当初は空席が目立った広島グリーンアリーナのスタンドが、3試合目を迎えるころにはほぼ満席になった。
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「まったく注目されていなかったところから、一気に人気が爆発する。そういう時に居合わせられたことは選手としても人としても幸せだった。これだけ盛り上がっている今は、もう経験できないことですから」
この大会での活躍は、当時22歳の柳田にとって男子バレー界に一気にその名を知らしめた機会になった。しかし一方で、翌年にはどん底を味わっている。
「OQT(リオ五輪世界最終予選)のあとに大阪でワールドリーグがあって。オリンピックの出場権は逃したけど、ワールドリーグには出ないといけない。僕らのモチベーションも難しかったですけど、いっぱいだった会場がまたガラガラに戻っていた。勝てないとこうなるんだなと思ったこともよく覚えています」
「いきなり五輪という目標が目の前に…」
東洋高校で春高バレーを制覇した柳田は慶應義塾大学に進学する。強豪大学よりも重きを置いたのは、一人の社会人として生きていくために力をつけること。そして、人との縁をつくること。実は、それほどバレーボール選手としてのキャリアを意識していなかった。
大学3年で日本代表に初選出されたが、それまでは五輪どころか、男子バレーの歴史もほとんど知らなかった。世代交代を促す新生日本代表への期待とリオ五輪出場への機運は高まっていたが、当の本人は現実味を抱けなかったという。
「いきなり五輪という大きな目標を目の前に出されて、現実として無理やり消化しないといけない。どれほどの重さなのかをわかるはずもなかった。だからオリンピック最終予選と言われても、ワールドカップと同じように国際大会の一つとして戦えばいいと思っていたんです。そのほうが自分らしくできると思う程度のキャリアしかなかったので、今振り返れば、相当、脇が甘い準備をしていました」

