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「やる気あんのか」柳田将洋と石川祐希のプレーに苛立ち「“ふざけんな”と思ったのは、その時だけ」男子バレー“職人アタッカー”が声を荒げた瞬間
posted2025/09/24 17:01
2015年ワールドカップ、当時19歳の石川祐希をフォローする米山裕太
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Koki Nagahama/Getty Images
「やる気あんのか。この試合で負けたら終わりだけど大丈夫かよって思いましたね」
2016年5月、リオ五輪世界最終予選の初戦。日本代表は世界ランキングで下回るベネズエラを相手に第1セットを奪われていた。ベンチから苛立ちを隠しきれずにいた米山裕太は、まだ若手だった柳田将洋と石川祐希に対して「ふざけんな」と思った。
「二人にそんなことを思ったのは、後にも先にも、その時だけでした」
"職人アタッカー"最後の五輪挑戦
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東レアローズ一筋で40歳まで現役を続けた米山にとって、リオ五輪は「最後の五輪」がかかった戦いだった。2013年に大学生の柳田、2014年にはまだ18歳だった石川が日本代表に選出される中、30代に差しかかった米山は彼らにライバル心を抱くことはなかった。「すげーな、頑張っているなと思うことばかりだった」と二人への想いを回想する。
だが、リオ五輪予選に向けた合宿では厳しい現実に直面していた。前年のワールドカップでは足関節捻挫の影響から満足な活躍ができず、「このまま選ばれないかもしれない」という気持ちを抱えながら、代表登録選手28人に滑り込んだ。限られたアピールの場で「人生をかけて、死ぬ気でやった」という思いで練習試合を戦った米山は、南部正司監督から「米山を見てみろ。背中から火が出てメラメラしてるぞ」と言われた言葉を今も忘れられない。
予選では初戦のベネズエラに逆転勝ちしたものの、中国、ポーランド、イランに連敗。崖っぷちに立たされた時、あるスタッフが「もう終わりだ」と諦めの言葉を漏らした。米山は初めて全員の前で声を荒らげた。「まだ終わってねぇよ。俺たちが目指しているのはそこじゃないし、俺たちには東京(五輪)なんてない。まだ俺らに試合は残ってるんだよ」
悔しさのあまり、シャワーを浴びながら涙が止まらなかった。そして最終予選2試合を残した時点でリオ五輪出場の権利を失った後、取材で「4年後、東京に向かう選手へのメッセージを」と問われた米山。記者が立ち去った後、静かにこう漏らした。
「僕らにとってはこれが最後だったから。ここにすべてをかけてきた。これからがある選手たちにはもちろん頑張ってほしいけど、今は何で負けたんだろう、どうして勝てなかったんだろう、その悔しさしかないです」
「勝てない」と揶揄された時代を戦い抜いた米山の涙の奥には、どんな想いがあったのか。本編では米山を含めた4人の証言者が登場する。〈つづく〉
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この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
