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「史上最高の40歳」1988年の南海・門田博光は何が凄かったか…西武のエース渡辺久信の証言「ゴオオオオという低い音が、いつも聞こえるんです」
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鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byMakoto Kemmisaki
posted2025/10/01 17:00
40歳となる1988年にMVPを獲得し、「不惑の大砲」と話題になった南海ホークスの門田博光
山本は南海に拾われたプレーヤーだった。北九州の高校を出てすぐ、近鉄にドラフト5位で入団したが、わずか1週間で投手をクビになり、野手としても6年目のオフに契約を切られた。知り合いのバッティングセンターで働きながら打ち込み、チャンスを待っていたところ、テストを受けないかと声を掛けてくれたのが南海だった。
当初、実績のない余所者に対する関西老舗球団の風当たりは強かった。山本の中にも、生まれつきの難聴のため、周囲に誤解されやすいというコンプレックスがあった。チームメイトとは距離があり、中でも最も遠く感じたのが門田だった。
〈僕なんて石ころみたいなもんですから、挨拶しても返してもらえなかった。当然です、プロですから。お笑いの世界で言えば、明石家さんまさんみたいな大ベテランと、ぽっと出の新人芸人みたいなものです〉
山本が目撃した門田の衝撃の姿
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一方で、南海に来て最も衝撃を受けたのが、門田の修行僧のような姿だった。ゲーム前のフリーバッティングが始まる。門田は専属の打撃投手に通常より3m近くも前から投げさせた。いくら“打たせ屋”の球とはいえ、体感150km以上はあっただろうか。それをフルスイングでスタンドに放り込むのだ。
〈僕も高校のとき、そういう練習をやったことがあるんです。でもプロで毎日そんなことやる人なんていません。疲れちゃいますから。例えばロッテの落合さんは、試合前にはスローボールを打ってました。ポーン、ポーンって。誰でも試合には良いイメージ、良い状態で入っていきたいですから〉
試合直前になると、門田はベンチ裏通路にある大鏡の前で素振りをした。一旦始まると何人も寄せ付けない空気を発しながら30分は振る。そのため、ロッカーとベンチを繋ぐ通路は“通行止め”になる。
〈もしロッカーに忘れ物したら、すいませんって門田さんの素振りの邪魔をして通らないといけない。汗だくになった門田さんにじろーって睨まれるんです。これは忘れ物できんなと、いつも緊張感がありました〉
この世界で生き残り、名を成すにはどうすればいいのか。門田の背中が語っていた。間近で見れば見るほどその巨大さが分かった。寡黙な門田の数少ない言葉を耳にできるようになったのは入団して数年、レギュラーとして結果を出し始めてからだった。
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