1988年10月12日、西武ライオンズの渡辺久信は負けられないマウンドに立っていた。パシフィック・リーグの優勝争いは熾烈を極め、残り5試合となった時点で、2位の近鉄バファローズとは1.5ゲーム差、試合を多く残す近鉄に優勝マジックがついている状況だった。リーグ4連覇を狙う西武としてはもう一戦も落とすことができず、エース渡辺が登板間隔を詰めて、中4日で先発することになったのだ。
平日デーゲームの大阪球場はいつものように空席が目立っていた。急勾配ですり鉢状の構造をしたスタジアムは、ただでさえ打球音も関西弁の野次もよく通るが、観客の少なさがそれに拍車をかけていた。相手は10年連続Bクラスの南海ホークス。常勝ライオンズが普段通りの力を出せば、高い確率で勝てる相手だ。だが渡辺には一つだけ、南海を相手にするときの不安要素があった。門田博光である。
〈ホームランを打たれているイメージしかありませんでした。身体は170ぐらいで、むしろ小さい方だったと思うんですけど、打席の雰囲気や迫力で体の大きさ以上のものを感じていました〉
このシーズンに40歳を迎えた南海の4番バッターは奇怪とすら言えるペースでホームランを量産し、本塁打王争いのトップを走っていた。そして、この前日までに放った43本のうち3本は渡辺が浴びた。リーグ最多タイの15勝を挙げている右腕は、同時に最も門田にホームランを打たれている投手でもあった。
プロ入りして5年目の渡辺は、ここまで阪急のブーマー・ウェルズやロッテの落合博満ら並みいるホームランバッターと対峙してきたが、その中でも門田は別格の存在だった。何よりも他のバッターと異なっていたのは「音」である。バットが空を切ると少し遅れて、切り裂かれた空気音が、18.44m離れた投手の鼓膜を震わせるのだ。
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