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「85歳、炎天下で自ら指導」「HRを打った“後”を練習」王貞治“世界少年野球大会”31回目への思い「子供たちに野球をやってもらうために」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byMasanori Kise
posted2025/09/16 11:02
31回目を迎えた世界少年野球大会で挨拶する王貞治。野球の普及に向けた思いを聞いた
世界少年野球大会の歴史とは
王が「世界の子供たちを繋げて、野球の輪を広げたい」という大いなる夢を掲げて「世界少年野球大会」をスタートさせたのは1990年(平成2年)。コロナ禍で2020年(令和2年)から4年間の中断期間を挟み、2024年(令和6年)に福岡で再開。第31回の今夏は、7月30日から8月7日までの9日間、秋田・大仙市で開催された。
王が巨人監督を退任したのは1988年(昭和63年)。ソフトバンクの前身・ダイエーの監督に就任するのは1995年(平成7年)だから、この「世界少年野球大会」がスタートした1990年(平成2年)は、いわゆる“充電期間”にあたる。
「ユニホームを脱いで、どうしようかというときに、じゃあ、果たして自分は何をしたらいいのか。やっぱり、自分自身が一番得意な部分で、自分が味わった“いい思い”を、少しでも子供たちにも味わってもらいたいと思ってね。ハンク・アーロンさんとも交流関係もあったし、僕も『世界の王』なんて言われたりしていたもんだから、だったら、日本だけじゃなくて、世界の子供たちをつなげていくという意味を含めてスタートしたんです」
ハンク・アーロンとのタッグ
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メジャー通算755本塁打のハンク・アーロン氏は、2007年(平成19年)にバリー・ボンズ(サンフランシスコ・ジャイアンツなど)に抜かれるまでの33年間にわたって、メジャー歴代トップの本塁打記録を保持していた。
この「755」を、ボンズよりも先に上回った王とアーロン氏という、日米球界のレジェンドがタッグを組んで立ち上げたのが「世界少年野球大会」だった。2021年1月22日、アーロン氏は86歳でこの世を去ったが、王はその遺志を継ぎ、85歳になった今年もその歴史を積み重ね、31回目の開催にこぎつけた。
今大会には、アフリカからブルキナファソが初参加。過去の大会から累計して、この大会に参加した国・地域がちょうど「100」に到達した。
言葉、人種、国境。そうした多くの“壁”を「野球」という共通言語で、ともに乗り越えてほしい。いまや、王のライフワークのひとつともいえる今大会への思い入れは強い。

