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「ビーチバレーは“妊娠する競技”と言われた」全日本のエースだった佐伯美香が“まさかの転向”で大騒動に…世間の偏見を変えた“あるきっかけ”
text by

吉田亜衣Ai Yoshida
photograph byL)NumberWeb、R)AFLO
posted2025/09/06 11:02
インドアからビーチバレーに転向し、計3度のオリンピックに出場した佐伯美香さん
「それまで床の反発を利用して跳んでいたので、砂の上では全く跳べない。風にも慣れない。まともにビーチバレーできていないな、と思っていました。それに初めてのアジア競技大会(バンコク)では、絶対優勝と言われていた中で銀メダル……。本気で辞めたいと思ったのは、そのときだけですね」
コートの外でも戸惑いの連続だった。神奈川にきたばかりの頃、電車の乗り方がわからなくて、お台場までタクシーで行ったことも。
「チームにいるときは、電車や飛行機のチケットは当然マネージャーが手配してくれていましたから。バレーボールに集中する環境でやらせてもらって、すごく恵まれていたんだなと。だからビーチに来ていろんなことを自分でするようになって、大したことではないんですけど、あんなこともこんなこともできるようになったって、自分に自信が持てるようになりました」
ビーチバレー転向後に記者に言われた「変わりましたね」
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それまでは、「言われたことだけをやっていればいい。自分はビーチバレーに向いていないタイプ」だったという。
ビーチバレーはコートに監督がいない。選手同士でゲームをマネジメントする競技である。いわば、選手たち自身でアイデアを出し合い、息を合わせて戦術を決定していく必要がある。
当然、いいときばかりではない。1対1のコミュニケーションを図っていくうえで、普段の習慣や行動や人間性が、コート内で現れると言っても過言ではない。だからこそ、自己主張や自主性、自己管理などが求められる競技だ。
「もともと取材なんて嫌です、自分はいいですというタイプだったんですけど、ビーチに転向してプロ選手として活動していくことになって、自分をアピールしていく必要がありました。でも、最初はどうやってアピールしていけばいいのか、どう表現したらいいのか、わかりませんでした。でも、バレー時代に取材経験がある記者の方から『変わりましたね』と言われるようになって。いつの間にかビーチという環境が自分を変えてくれました」
シドニー五輪を目指す過酷な道のり
自身をマネジメントできるようになってきた佐伯は、1998年後半から当時日本のトップランカーだった高橋有紀子とペアを組み、シドニー五輪を目指すことになった。

