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「ビーチバレーは“妊娠する競技”と言われた」全日本のエースだった佐伯美香が“まさかの転向”で大騒動に…世間の偏見を変えた“あるきっかけ”
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吉田亜衣Ai Yoshida
photograph byL)NumberWeb、R)AFLO
posted2025/09/06 11:02
インドアからビーチバレーに転向し、計3度のオリンピックに出場した佐伯美香さん
佐伯/高橋組は、アジア競技大会では銀メダルに終わったものの、五輪の選考基準大会になっていたワールドツアーでランキングをぐんぐんと上げていった。その立役者となったのは、ブラジル人プロコーチのアントニオ・フェルナンド・T・レオン監督だった。
「レオンは次々に新しい練習を提示してくれて、『この人の頭の中、どうなっているの!?』と思ったほどたくさんの練習方法を持っていました。初めてレオンに練習を見てもらった時、この人についていけば絶対強くなれるって確信したのを覚えています。仮にパートナーのユッコ(高橋)さんが見てもらわないという選択をしても、自分1人だけでもブラジルに行こうと思いましたから。レオンについてもらってから、ようやくビーチバレーというものがわかるようになってきました」
レオン氏の練習は、パス、トスを中心とした基本技術のサーキット練習がメイン。例えば、心拍数を180以上に上げた後、一度下げた状態に戻し、再び上げていく。ただ数をこなすのではなく、テンポの速いボールを出される中、パス、トスを返す位置をしっかり定められ、1本1本のボールに精度を求められたという。
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「試合を想定し体力を消耗する中でも、風の向きや強弱を考えてパスを出す習慣を徹底的に身体へ染み込ませる練習でした。レオンの教えを突き詰めていった結果、ミスが減って調子のいいときと悪いときの波がなくなってきたんです。これだけ練習してきたんだから負けるはずがないと思っていました」
ビーチバレーへの“偏見”はいかに変わったか?
佐伯/高橋組は、シドニー五輪の半年前のワールドツアーで世界ランキング1位のブラジルを倒し、初の表彰台へ上がり銅メダルを獲得。そして五輪1カ月前、大阪で開催されたワールドツアーで銀メダルに輝いた。
「あの時はすでにバレーボール男女代表チームとビーチバレー男子代表がシドニー五輪出場の道が絶たれていて……。だから五輪直前に日本でメダルを取れたのは、ビーチバレーに転向してよかったなと思った瞬間だったかもしれないです」
冷ややかだった視線は、再び熱を帯び始めた。佐伯はシドニー五輪という本番でやってみせた。準々決勝では優勝候補と言われていたアメリカを破り、ベスト4入り。準決勝、3位決定戦で敗れたものの、日本のビーチバレー史上初の4位入賞を収めた。
「シドニー五輪後から『ビーチバレーの佐伯』と言われるようになりました。テレビ放映もあったので、ビーチバレーが五輪の正式競技でちゃんとしたスポーツなんだとわかってもらえたのが、あのシドニーだったと思います」
シドニー五輪ビーチバレー競技の最終日9月25日は佐伯の29歳の誕生日だった。「誕生日にシドニーのコートに立ちたい」という目標も叶えた嬉しさの半面、佐伯はあと一歩でメダルを逃した悔しさをコートに残したままだった。


