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「多かったのは婚姻届です」女子バレーの顔だったスター選手が経験した“大フィーバー”ウラ側…「鉛の靴を履いて登下校」した佐伯美香の強豪校時代

posted2025/09/06 11:01

 
「多かったのは婚姻届です」女子バレーの顔だったスター選手が経験した“大フィーバー”ウラ側…「鉛の靴を履いて登下校」した佐伯美香の強豪校時代<Number Web> photograph by R)NumberWeb

ユニチカではVリーグ優勝に貢献し、最高殊勲選手などを獲得した佐伯美香さん

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吉田亜衣

吉田亜衣Ai Yoshida

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女子バレー全日本のエースとして活躍し、ビーチバレー界のパイオニアとなった佐伯美香さん(53歳)。五輪3大会に出場した現役時代の秘話や苦悩、指導者として活動する今などを聞いた。《NumberWebインタビュー全4回の初回/第2回第3回第4回に続く》

◆◆◆

 バレーボールに熱中していた人間は、1本でも多くレシーブを拾いたい。そして高く跳び、強いスパイクを打ちたい。そんな思いを胸に秘め、練習していた日々があるはずだ。

 1995年11月。全国にいるバレーボール競技者やファンを虜にした選手が、世界の強豪が集まる「バレーボール・ワールドカップ95」のコートに突如現れた。当時24歳の佐伯美香だった。

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 ボールの落下地点へ華麗に滑り込む。床の上でゴムのように跳ね上がり、強烈なスパイクを叩き落とす。連日超満員、1万人の観客は佐伯のプレーに熱狂した。

 世界に名を轟かせた佐伯はその小さな身体(身長172cm)でどのようにしてバレーボール技術を身につけてきたのか。

「鉛の靴を履いて登下校」した中学時代

 小学5年の時点で身長が160cmあった佐伯は、バレーボール部に誘われた。6年から始めたバレーボールは楽しかった。だから中学校でも続けようと思ったが、環境は一変。佐伯が通っていた松山市立南第二中は、四国大会に進出する強豪となり、やがて佐伯は注目を集めるようになっていった。

「中学生くらいから先生や先輩も厳しく、本格的に取り組むようになりましたね。当時は週2回の夜練習も欠かさず、重りが入った鉛のシューズを履いて登下校していました。練習でがんばっていた分、上の大会にも出られるようになって。県外でも注目されるようになりました。当時、『佐伯のスパイクをレシーブした選手が腕を骨折した!』なんていう冗談も言われていたんですよ(笑)」

【次ページ】 ユニチカでの日々「あれ以上、苦しいことはない」

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