甲子園の風BACK NUMBER

横浜高・松坂大輔と「奪三振ゼロでも13回まで投げ合えた」のちにヤクルトで最多勝・館山昌平の原点「“怪物”がいなくてもチャンスはある」 

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

PROFILE

photograph byNumberWeb

posted2025/08/28 11:02

横浜高・松坂大輔と「奪三振ゼロでも13回まで投げ合えた」のちにヤクルトで最多勝・館山昌平の原点「“怪物”がいなくてもチャンスはある」<Number Web> photograph by NumberWeb

現在は社会人野球マルハン北日本GIVERSの監督として新出発している館山

 とはいえ、当時最強の横浜に冷や汗をかかせたのは紛れもない事実である。ゲームが終わってから、2人には「やっと終わったな」「なかなか終わらなかったな」という短い会話があった。

「まあ、意味合いは全然違いましたけどね。向こうは1点取れないもどかしさのほうで、こっちは絶対に食らいついていくぞというところでしたから。チーム力でだいぶ差があったのは間違いないこと。でもアウトの取り方さえちゃんとしておけば、横浜相手だって試合になるんだな、と。大輔のボールを自分の目で見て、自分も同じマウンドで投げていくということが成長させてくれたとは思います。

 僕らはセンバツ4強といっても、誰ひとり全日本に選ばれていません。でも、ひとつの目標に向かって知恵を出し合って、野球そのものを高めていければ、いいところまで行くんだなという感覚を持つことができました。凄い人のいるチームが絶対勝つわけじゃなくて、凄い人のいないチームだってチャンスはある。それが野球の醍醐味だなと思いましたね」

3年の夏の達成感

ADVERTISEMENT

 最後の夏。

 80回目の記念大会となることで神奈川大会は東西に分かれ、横浜が東を順当に突破した一方で、西の日大藤沢は準決勝で平塚学園に2-5で敗れ、夏の甲子園には届かなかった。

 ヤクルトの元ピッチャーで当時、スポーツ紙の野球記者をしていた宮本賢治から「とにかくきょうが大事だからな」と声を掛けられたことが、館山の印象に残っているという。だが、打っては安打数で相手を上回りながらも得点につなげられず、守ってはエラー絡みで失点して、この日は「チーム力のニチフジ」らしくはなかった。

 それでも3年間、高校野球をやり遂げた達成感はあった。全員の力で神奈川県有数のチームとなり、センバツ4強の実績は館山にとっても大きな勲章となった。高校に入ってピッチャーに転向し、3年間で一度ベンチ入りを果たせればいいという目標を掲げた少年が、怪物と真っ向から投げ合うまでになったのだから。

【次ページ】 自分もプロでやれるんじゃないか

BACK 1 2 3 4 NEXT
#館山昌平
#松坂大輔
#松坂世代
#日大藤沢高校
#横浜高校

高校野球の前後の記事

ページトップ