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横浜高・松坂大輔と「奪三振ゼロでも13回まで投げ合えた」のちにヤクルトで最多勝・館山昌平の原点「“怪物”がいなくてもチャンスはある」 

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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posted2025/08/28 11:02

横浜高・松坂大輔と「奪三振ゼロでも13回まで投げ合えた」のちにヤクルトで最多勝・館山昌平の原点「“怪物”がいなくてもチャンスはある」<Number Web> photograph by NumberWeb

現在は社会人野球マルハン北日本GIVERSの監督として新出発している館山

自分もプロでやれるんじゃないか

 野球を考える。観察する。学ぶ。自己研鑽する。あきらめずに戦う。

 ニチフジで学んだことはその後の館山の野球人生においてベースとなる。日大に進学し、プロになれるとは思っていなかったために教職課程にも取り組んだ。西武に入団した松坂が1年目から活躍しても、館山からすれば現実離れしたアニメ『タッチ』の世界に過ぎなかった。

 だが、日大の2学年上の先輩がドラフト1位候補だというスポーツ新聞の記事を目にしたとき、「自分もやれるんじゃないか」とスイッチが入った。そのまま教職課程を取りやめる手続きをして、野球により打ち込んだ。

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 その結果、2002年ドラフト3巡目でヤクルトに入団し、実働15年間で85勝10セーブ24ホールドをマーク。2008年からは5年連続で2ケタ勝利を挙げ、2009年は16勝で最多勝のタイトルを手にしている。肘、肩など度重なるケガに見舞われ、手術で計191針を縫いながらも、そのたびに這い上がってきた。松坂世代を代表する名ピッチャーとなり、2019年を最後に引退。その2年後に、世代をけん引してきた松坂もユニフォームを脱いでいる。

社会人野球監督に就任

 現在44歳の館山。東北楽天の二軍投手コーチなどを経て、今年、社会人野球に新規参入することになるマルハン北日本カンパニー(仙台)の監督として招聘された。まさにゼロからのスタート。大学での野球実績は問わず、ラプソード社協力のもと、数値と姿勢を重視してセレクションや練習参加を通じて23人を集めた。大学を卒業したばかりで、今年23歳を迎える選手がほとんどという若いチームだ。

 社業と両立できる幹部候補生を育てていくという目的はあるにせよ、野球においても「心構え」を重視する。

【次ページ】 いまも高校時代と同じ精神で

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