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松坂大輔は「現実離れしたアニメを見ている感覚」日大藤沢で“怪物”に3度敗れた男・館山昌平の青春「中学までキャッチャー、目標はベンチ入り」

posted2025/08/28 11:01

 
松坂大輔は「現実離れしたアニメを見ている感覚」日大藤沢で“怪物”に3度敗れた男・館山昌平の青春「中学までキャッチャー、目標はベンチ入り」<Number Web> photograph by SANKEI SHIMBUN(L)/Hideki Sugiyama(R)

日大藤沢高時代の館山(左)は横浜高と松坂(右)の壁に阻まれ、甲子園出場はセンバツの一度だけだった

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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SANKEI SHIMBUN(L)/Hideki Sugiyama(R)

松坂大輔というヒーローに牽引されて、多くの名選手が生まれた「松坂世代」。そのひとりで、のちにヤクルトのエース格に成長した館山昌平は同じ神奈川県の高校出身だ。高校時代の彼にとって“怪物”はどんな存在だったのか。今改めて、思い出を語ってもらった。〈NumberWebインタビュー全2回の1回目/つづきを読む

 甲子園のヒーロー、その一人に松坂大輔がいる。

 1998年夏、横浜高校のエースは京都成章との決勝でノーヒットノーランを達成して“怪物伝説”を締めくくった。

 松坂の活躍に引っ張られるように同世代の選手たちは成長を遂げていき、NPB入りした松坂世代は94人にのぼる。投手には和田毅、杉内俊哉、藤川球児、久保康友ら多士済々がそろい、なかでもケガを繰り返しながらもヤクルトの右腕エースとしてプロ通算85勝10セーブ24ホールドをマークした館山昌平は日大藤沢の出身で、松坂とは神奈川大会で投げ合った仲でもある。

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 夏の甲子園には一度も出場していないが、3年春のセンバツでは全国ベスト4を経験。“別格”横浜の存在に隠れがちではあったものの、現在、創部1年目のマルハン北日本カンパニーで監督を務める彼にとって土台となっているのが「ニチフジ」時代だという。

横浜のことはアニメを見ているような感覚だった

 松坂が最後の打者を打ち取って、ノーヒットノーランで春夏連覇を果たしたあの瞬間を、館山は見ていない。

 第80回の記念大会となった1998年、夏の甲子園。激戦区の神奈川は東西地区に分かれ、東神奈川大会を制したセンバツ優勝の横浜に対し、センバツ4強の日大藤沢は西神奈川大会の準決勝で平塚学園に敗れた。館山の夏が終わった。

「大輔がノーヒットノーランで優勝したことは後で知った感じですね。延長17回まで戦ったPL学園との試合(準々決勝)のときは、確か中学時代の友達と遊園地に行っていたんですよ。高校野球をやり切った感もあったし、彼らを応援しようみたいなことも別に思わなかった。というのも(横浜は)アニメの『タッチ』を見ているのと同じ感覚でしたから」

【次ページ】 キャッチャーだった中学時代

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