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甲子園がモメた日「子供だったなあ」広陵“誤審疑惑”やサヨナラボーク悲劇のエース…松井秀喜は5連続敬遠に「“ここまでやるんだ”と驚き」
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/08/23 17:00
日本人が常に注目し続けてきた夏の甲子園。それだけに“騒動”となった出来事もまた多い
「審判がボールといったらボール。最高の舞台であんな姿は……。子どもだったなあ、と反省しています」
サヨナラボーク…悪夢のエースが語ったこと
<名言2>
あの日は、日本でいちばん目立ったんじゃないですか。
(藤田修平/Number759号 (2010年7月29日発売)
◇解説◇
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サヨナラボーク。このフレーズを耳にすると、藤田の顔を思い浮かべる人は多いだろう。松坂大輔が主役だった1998年夏の甲子園。山口・宇部商業の2年生エースとしてマウンドを託された藤田は、2回戦の豊田大谷(東愛知)戦で悲劇の主役となった。
2-2の同点で迎えた延長15回裏、無死満塁の絶体絶命のピンチで、藤田はセットポジションから左手に握ったボールを腹の前に動かしたあと、なぜか、ふと引っ込めた。林清一球審がボークを宣告、三塁走者がサヨナラのホームを踏んだ。
「魔がさしたというか。僕もちょっとわからんですね」
当時、その残酷な判定に批判の声もあったが、藤田は「審判は一球ずつ集中しなくてはならない。延長になっても見逃さなかったのは凄い」と12年後のインタビューで語っている。
5連続敬遠…「ここまでやるんだ」松井も驚き
<名言3>
「ここまでやるんだ」という驚き……その驚きの感情が強かったですね。
(松井秀喜/Number834号 2013年8月8日発売)
◇解説◇
1992年夏の高校野球でひとつの伝説がうまれた。星稜対明徳義塾戦における「松井秀喜5打席連続敬遠」である。
この年の春のセンバツ大会で松井は2打席連続を含む3本塁打をマーク。夏の大会でも大会屈指のスラッガーとして注目を集めていた。その松井対策として明徳義塾の馬淵史郎監督が考えたのが、「松井を相手にしない」こと──つまり、全打席敬遠するという究極の作戦だったのだ。
「『なぜ?』とは思わなかった。ただ、あそこまで極端なことは経験したことがなかったので」
当の本人は憤るよりも驚くばかりだったと振り返ったが、この敬遠策が逆に松井の怪物ぶりを際立たせることにもなった。〈甲子園特集:つづく〉

