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甲子園がモメた日「子供だったなあ」広陵“誤審疑惑”やサヨナラボーク悲劇のエース…松井秀喜は5連続敬遠に「“ここまでやるんだ”と驚き」

posted2025/08/23 17:00

 
甲子園がモメた日「子供だったなあ」広陵“誤審疑惑”やサヨナラボーク悲劇のエース…松井秀喜は5連続敬遠に「“ここまでやるんだ”と驚き」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

日本人が常に注目し続けてきた夏の甲子園。それだけに“騒動”となった出来事もまた多い

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沖縄尚学が深紅の大優勝旗を手にした夏の甲子園。過去にはまさかの出来事でモメた日もあった。「Number」掲載記事から、当事者の声を振り返る。

子供だったな…と反省しています

<名言1>
でも、あそこで負けたことで、大学で絶対、日本一になろうと思った。
(野村祐輔/Number858号 2014年7月31日発売)

◇解説◇
 2025年夏の甲子園、名勝負と言われた県岐阜商vs横浜では、SNSを中心に“誤審騒動”が起きた。詳細は別記事にて触れているが、今からさかのぼること18年前、2007年夏の決勝でも、勝敗を左右する判定が起きている。

 広陵(広島)のエースとして佐賀北に対峙した野村祐輔(元広島)と小林誠司(現巨人)とのバッテリーは、7回まで無失点に抑えていた。

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 だが、暗転したのは8回だった。今でも語り継がれるのは4-0のリードで迎えた1死満塁の状況で、外コースいっぱいに投じた2球目、5球目がボール判定となり押し出し。判定に感情が揺れた“ノムコバ”バッテリーは、次打者に逆転満塁ホームランを浴びたのだった。

 いわゆる「がばい旋風」に飲み込まれた野村だが――こう語り、冒頭の言葉につなげた。

「もし、甲子園で優勝してたら、どこかで満足してしまっていたかもしれない」

 高校卒業後に進学した明治大学では、4年時の明治神宮野球大会で、3試合連続完封勝利の大会新記録。明大5回目の優勝に貢献し、野球人生で初の日本一に輝いた。2011年のドラフトで広島に1位指名を受けて入団、翌年にはセ・リーグ新人王に。本人が語る通り、甲子園での悔しさをバネに成長を遂げた好例だろう。

 なお小林は、甲子園のグラウンドにキャッチャーミットをたたきつけた当時の記憶を、こう回想している。

【次ページ】 サヨナラボーク…悪夢のエースが語ったこと

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