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「キーパー、指、裂けとったからね」衝撃の破壊力…釜本邦茂が“史上最高のストライカー”になるまで「修羅場でも絶対に狂わない」「恐ろしい後輩」
text by

藤島大Dai Fujishima
photograph byKYODO
posted2025/08/13 11:00
ヤンマー時代の釜本邦茂(1980年撮影)。2025年8月10日、81年の生涯に幕を閉じた
古くて新しい命題である。
出でよ、新しき釜本。
そして、その可能性は。
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こうなったら本人に聞いてしまおう。オマーン戦前の日本代表が宿泊する浦和のホテル、ロープの外でカメラを手に待つファンを横目に館内へ進む。なんとなく優越感を覚える。諸君、いったい誰を待っているのかね。こっちは釜本に会いに行くというのに。
角が削れていた。仁王の風貌は優しくなっている。
「どーうも」
メキシコ五輪の得点王は、ソファに白の腰を沈めた。くるぶしの形状があまりにも異様だ。ことに左足の外側、焼きそこないのげんこつ煎餅がボコンと突き出ている。
「捻挫やらなんやらで、関節が広がった」
笑うわけでもなく教えてくれた。
ボールを蹴りまくった少年時代
この質問、何百回目でしょうか。すなわち釜本さんのようなストライカー、いまだ出現しておりません。
「練習しないもの。ボールを蹴らない。御存知のようにサッカーというスポーツは、ボールを蹴らなくてはいけない。蹴るということの原理原則、いまの人、果たして知ってるのか。試合だけしとってもあかん。試合と試合の間に自分で練習せな。型をつくる。そのことには監督もコーチも関係あらへん。個人、自分自身ですよ」
釜本邦茂は蹴った。蹴って、蹴りまくった。ひたすら自分自身の方法論に沿って。
前出の二村昭雄は、太秦小5年で校内サッカーを始めた後輩を思い出す。
「ドッジボール、本当は蹴っちゃいけない。でも、あいつは早く学校へ来て、ひとりで壁に向かって蹴ってました。そのうちピシューンと空気抜けましてね」
猫が鼠の玩具と戯れる。ゆらゆら動く獲物に鋭く飛びかかり、また繰り返す。
79歳のジャーナリスト、賀川浩は言う。
「あれ、猫は遊びとわかってるわね。でも、おもしろいから、いつまでもやめない。そういう、おもしろがる年齢の間に蹴るということを身につけてしまわなくては。いま、子供のころから、ひとりにひとつボールが与えられて、芝で練習できる。そのわりに蹴るのがうまい選手は出てこない」
旧制神戸一中で選手、元「サンケイスポーツ」大阪本社編集局長、釜本邦茂のほとんど第一発見者。この国のサッカー報道の誇りでもある現役ライターは続ける。
「いま立派なコーチ、立派な記者がたくさんおって、細かなシステムを教え、そこばかりを検証する。スリーバックは機能したか、なんて。だんだん選手もそれに引きずられるようになって。でも大事なのは、きたボールをカチンと蹴ったら勝ついうこと」
ここで球を受ける。こう止めて、これくらいの弾道と強さでゴールのここを必ず狙う。
「練習で何百回と蹴れば、おのずと自分の型がわかる。実戦の緊張の中でやりきれば、それがストライカーです。釜本はできたわけや。簡単なんですよ、回数さえこなせば。若い人の嫌う反復いうやつやけどね」



