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「子どもの頃、めっちゃ貧乏で…」元日本代表・太田宏介38歳が語る“壮絶な過去”「サッカー選手になれよ」少年の心に響いた“あの名選手”の言葉 

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占部哲也(東京中日スポーツ)

占部哲也(東京中日スポーツ)Tetsuya Urabe

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2025/08/10 11:04

「子どもの頃、めっちゃ貧乏で…」元日本代表・太田宏介38歳が語る“壮絶な過去”「サッカー選手になれよ」少年の心に響いた“あの名選手”の言葉<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

2014年、ブラジル代表との親善試合に出場した太田宏介

 大人たちの“好アシスト”で高校に進学した太田は、激戦区の神奈川を勝ち上がり、冬の高校選手権に2度出場。当時J2の横浜FCからオファーを勝ち取り、U-20W杯にも出場した。J1の清水、FC東京では高精度の左足を磨き、日本代表にまで駆け上がった。海外でも2度プレーした18年間のプロ生活。心に刻み、原動力となったのは「恩を返さなきゃいけない」という想い。そして、現役最後の2023年シーズンは、経済的に苦しかった中学時代に所属したチーム・FC町田ゼルビアをJ1に昇格させて花道を飾った。

「町田には小さい頃の自分を知っているコーチ、指導者が山ほどいる。ゼルビアに帰ってきたことをとても喜んでくれて、J2で初優勝して、J1に昇格。やっと恩返しができた。そういうストーリーを家族だけじゃなくて、この地域の人も見て、知ってくれていたので、今では冗談で『市長になれよ』って言われます(笑)」

太田を支えた“ある選手”の言葉

 細い糸で、何度も切れそうになったサッカー人生は、恩人たちの“アシスト”によって紡がれ、ゴールを迎えた。そして、どんな苦境でも最後までプロを諦めなかったのは10歳の時に参加した「無料」サッカーイベントで日本代表選手から掛けられた言葉があったからだった。
    
 太田は1998年冬に掛けられた言葉を、四半世紀が過ぎた2025年の夏に再び目を輝かせ、鮮明に思い出してくれた。

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「1月だったと思う。町田市のサッカー協会が無料のイベントを開催してくれた。林健太郎さん(東京Vなどで活躍)とか町田市出身のJリーガーが来てくれて、僕は北沢(豪)さんのサイン会に当たった。『プロはめちゃくちゃ楽しいぞ! サッカー選手になれよ』って一言もらった。そのちょっとした言葉、光景ってずっと覚えていて。本気で『プロサッカー選手』という夢を持った瞬間だった」

 北沢は前年11月に日本初のワールドカップ出場を決めたイラン戦で先発、新しい歴史を作った「ジョホールバルの歓喜」の一員でもあった。10歳の太田少年にとってヒーローの一言は、その後、大きな支えになった。

【次ページ】 「さりげない一言が子どもの心を動かす」

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