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「あのとき、せめてコーラを飲んでおけば」松坂大輔がいま明かす甲子園伝説の死闘「横浜vsPL学園 」250球の真相「僕がダメだった一番の理由は…」

posted2025/08/14 11:07

 
「あのとき、せめてコーラを飲んでおけば」松坂大輔がいま明かす甲子園伝説の死闘「横浜vsPL学園 」250球の真相「僕がダメだった一番の理由は…」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

夏の甲子園伝説の死闘「横浜vsPL学園」延長17回250球の真相について、松坂大輔が明かした

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石田雄太

石田雄太Yuta Ishida

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Hideki Sugiyama

“平成の怪物”松坂大輔が自らの野球人生をあますところなく綴った『松坂大輔 怪物秘録』(石田雄太・著/文藝春秋刊)。この中から1998年夏の甲子園で伝説となった「横浜高校対PL学園の死闘」を描いた章を抜粋して紹介する。<全2回の前編/後編へ>

準々決勝でPL戦「早えよ」

《250球ーーPL学園との準々決勝で投げた松坂の球数である。2回戦で108球を投げて鹿児島実を完封し、中2日の3回戦では148球で星稜も完封。ベスト8に勝ち上がった“東の横綱”横浜の松坂大輔は準々決勝で連投のマウンドに上がる。相手は“西の横綱”PL学園。その組み合わせ抽選は横浜対星稜、PL学園対佐賀学園の勝者が決まる前に行われた。そして横浜とPLが勝ち上がり、ベスト8で東西の両横綱が相見えることとなる。まだ早いと惜しまれつつ、準々決勝の第1試合は午前8時半に始まった。》

 PL学園と準々決勝で当たることになったとき、クジを引いてきた(キャプテンの小山)良男はみんなから「早えよ」と言われて、「知らねえよ」って軽く怒っていました。僕もPLとは決勝で当たるのが一番おもしろいと思っていましたし、高校野球ファンもそういうカッコいい決勝を望んでいたんじゃないかな。ただ僕は、みんなとはちょっと違う意味で「早えよ」と怒っていました。それは、朝が早かったこと(笑)。

 僕は朝が苦手でしたから、第1試合はイヤだなぁと心底、思っていました。確か8時半からでしたよね。そんな早い時間に試合が始まるなんて、神奈川大会はもちろん、練習試合でもなかったと思います。僕ら、土、日は午前中に練習試合を組んでいましたが、早くても朝は9時開始とかでしたし、あれは一日に試合を消化しなければならない甲子園の準々決勝ならではの開始時間なんでしょうね。

試合当日の起床は午前4時半

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 しかも僕にとって、PL戦は3回戦の星稜戦からの連投でした。それもただの連投じゃない。前日の星稜戦が終わったのは午後1時半で、PL戦の試合開始は翌日の午前8時半。感覚的には連投というより、一日2試合に近かったと思います。だからチームの誰かと「試合が終わって半日後にはまたグラウンドにいる感じだよね」という話をしたのを覚えています。

 そもそも投げた日って身体が興奮状態にあるんです。それはプロに入ってから知ることで、高校のときにはそういう状態だという自覚はなかったんですが、登板した日は疲れていることに加えて身体が興奮していて、夜はなかなか寝つけない。結局、朝方まで寝られなかった、ということはそれまでにも何度かありました。それが星稜戦の晩に起きてしまっていたんです。消灯時間が何時だったか正確には記憶にありませんが(夜の8時半)、試合開始の4時間前に起きないと身体が目覚めないとかで、起床は午前4時半に決められていました。

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