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「野村克也の“親バカ”トレード」批判「カツノリから阪神に漏れる」疑惑も…“2世”野村克則が明かす「ヤクルト→阪神、金銭トレードのウラ側」 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph bySankei Shimbun

posted2025/08/07 11:01

「野村克也の“親バカ”トレード」批判「カツノリから阪神に漏れる」疑惑も…“2世”野村克則が明かす「ヤクルト→阪神、金銭トレードのウラ側」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1999年12月、野村克則捕手(カツノリ)の阪神入団会見。ヤクルトから金銭トレードされた

 10月初旬には交換要員として阪神のリリーフ右腕・葛西稔の名前が報じられ、トレード報道は日々加速していく。秋季キャンプのメンバーから外れると「カツノリ放出」、11月19日のドラフト会議でヤクルトが捕手2人を指名すると「トレード決定的」……。収拾がつかなくなった騒動は最終的に父の野村監督が阪神側にカツノリ獲得の希望を伝えたことで大きく動き、両球団は移籍の合意に達した。

「トレードは寂しかったし、自分としては不本意でした。当時は野球も好調だったし、チームにも馴染んでいて毎日がすごく充実していた。今までずっと親父との関係の中で色々な書かれ方をしてきたけれど、(98年に野村監督がヤクルトを退任したことで)そういうところから解き放たれて野球に集中できていたんです。

 それでまた(父が監督を務める)阪神にトレードか、となった時に、正直不安も感じていました。特に阪神は関西で凄く注目されていて、報道の量もヤクルトの比ではないということは分かっていましたから」

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 11月29日、トレード決定の発表に際し、野村監督は広報を通じてこんなコメントを発表している。

「親バカと言われるでしょうけど、これも親の務めと考えています。まずヤクルト、阪神両球団に対して多大なご無理、わがままを言い、本当に申し訳ないと思います」

 スポーツ紙の1面には「親ばかトレード」の見出しが大きく躍った。1995年ドラフトで父が監督をつとめるヤクルトがドラフト3位で克則を指名した時と同様に、「公私混同」、「身内贔屓」と批判する報道もあった。

「僕はもう、あまりそういう報道も見ないようにしていました。記者にも色々と聞かれたけれど『自分はいち選手なので』と、それだけしか言わなかったです。自分の野球人生なので、野球としっかり向き合って自分のやるべきことを全うするしかない。できる限り周囲のことはシャットアウトして……その考え方はもう、プロに入った時から身に付けてきたものなんです。だってヤクルト時代から、集中的に攻撃されてきましたから。そりゃもう、慣れますよ」

「お袋(沙知代さん)のこともありましたから…」

 振り返ればヤクルト時代から克則は、想像を絶するような注目の只中にあった。戦後初の三冠王であり、NPB歴代2位の2901安打を放った偉大な父と同じプロ野球選手の道を歩むという重圧。父が監督を務めるチームから指名を受け、同じユニフォームを着る息子の一挙手一投足は日々のニュースとなり、時に面白おかしく報じられた。

「プロに入って1、2年目は、人間不信になっていましたね。何でこんなに言われなきゃいけないんだろう、なんでこんなに面白おかしく書かれるんだろう、って。新聞記者と話すのも嫌でした。ふと口にしたことが翌日には意図しない形で新聞に出ている。チームの中の誰かがこう言っている、とか、克則はこう思われている、というような記事が出るたびに、周囲に対しても疑心暗鬼になりました」

【次ページ】 「お袋(沙知代さん)のこともありましたから…」

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