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父・野村克也が「現役引退しなさい」“2世”カツノリ、巨人たった1年間で戦力外通告…野村克則52歳がいま明かす「なぜ父の言葉に反抗したか?」
posted2025/08/07 11:02
2004年1月、野村克則の巨人入団会見。阪神から金銭トレードされた
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
KYODO
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「カツノリが結果を出すと、不協和音が広がる」批判
ヤクルトから阪神へ。父が監督をつとめる球団に再びトレード移籍した克則(当時の登録名はカツノリ)は、父子鷹ならぬ“父子虎”として関西マスコミの注目を集めることになった。
ヤクルト時代は4年間で一軍出場は計51試合だったが、移籍初年度の2000年から正捕手・矢野輝弘(現在は燿大)の控えとして一軍に定着し、43試合に出場。2001年は自己最多の52試合に出場し、先発マスクを被る試合も増えた。同じユニフォームを着る父の教えを受ける日々。しかし、克則自身は常に距離感を意識していたという。
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「たとえ親子でもユニフォームを着たら監督といち選手ですから、しっかりと線引きはしていました。言葉遣いももちろん気をつけていましたし、一緒にいることで過度な注目を浴びないように、自分から監督に近づくことはなかったんじゃないかと思います」
ここでもやはり、厳しい声は聞こえてきた。克則の出番が増えれば「温情采配」だと言われ、阪神の負けが込めば批判の矛先は父子関係にも向く。
「自分は出番が来たら、選手として一生懸命やる。とにかくそれだけに集中していました。少し打ち出した時期に『カツノリが結果を出せば出すほどチーム内の不協和音が広がる』と書かれたことがあって、それは辛かったですね。何でそこまで言われなきゃいけないんだろう、じゃあ自分はどうすればいいんだ、って」
「沙知代夫人の脱税容疑で…」父の電撃辞任
ジレンマは笑顔の内に隠し、底抜けの明るさでチームを盛り上げた。「下手だから人一倍練習する」とどんな時も決して手を抜かず、シーズン中は常に早出特打を志願して誰よりもバットを振り込んだ。

