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「もう、野球せんでええんだ」名古屋大学野球部“史上初のプロ選手”が受けた戦力外通告…地元愛知のテレビ局で報道記者になった「異色の経歴」秘話 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph byL)Sankei Shimbun、R)NumberWeb

posted2025/08/04 11:07

「もう、野球せんでええんだ」名古屋大学野球部“史上初のプロ選手”が受けた戦力外通告…地元愛知のテレビ局で報道記者になった「異色の経歴」秘話<Number Web> photograph by L)Sankei Shimbun、R)NumberWeb

2020年に中日の育成1位でドラフト指名を受けた松田亘哲さん。現在はCBCテレビの報道局記者

 育成2年目は、春季キャンプ中に日本ハムとの二軍練習試合で実戦初登板。ウエスタン・リーグで経験を積み、最終的に16試合に登板し0勝2敗、防御率3.38の数字を残した。試行錯誤を繰り返すなかで、手応えを得たのもこの時期だった。

「まだ肩の痛みがあって思い切り投げられない中で、だったらタイミングをずらしてやろうっていうピッチングをしていたんです。球速も140km出ない中、色々なことを試して打者のタイミングを崩そうということをしていたら、結果的にその時が一番抑えられた。3年目に肩が復活してビュンビュン投げると意外と打たれたりするのだから、不思議なものですよね。2年目の筑後での二軍のソフトバンク戦(6月8日)で勝ちパターンで投げて三者凡退に抑えたことがあったのですが、あの試合では自分の球を操れて自信を持って投げていた。すごく思い出深いです」

「ボールがとんでもない方向に…」感じていた“恐怖”

 2年間猛練習を積み重ねたことで体力もつき、3年目はキャンプで一軍昇格し初めて対外試合に登板。先発、中継ぎの両方を経験し、球速も上がった。育成入団の選手は入団3年を過ぎるといったん自由契約となるが、懸命に野球に取り組み、ステップアップを積み重ねた左腕は、4年目の再契約も勝ち取った。

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「本当にありがたかったです。これが勝負だと覚悟を決めて迎えたんですが、その4年目が一番キツくて……」

 ウエスタン・リーグの開幕戦で登板するなど飛躍が期待されたが、5月に入ると突如、制球難に悩まされるようになった。いわゆる「イップス」だった。

「ストレートのコントロールは以前から課題でしたが、それが自分の中の怖さになっていたんです。変化球は問題ないのですが、ストレートを投げようとするとギューッと力が入るようになって、ボールがとんでもない方向に抜けてしまう。本当に悩んで、周りの方たちに色々なことを相談しました」

 どん底の左腕の背中を押したのは、当時二軍でリハビリ中だった福谷浩司(現・日本ハム)や岡田俊哉、岩嵜翔(現・オリックス)といったベテラン投手たち。怪我や不調を乗り越えてきた経験談をもとにアドバイスをくれたり、不安な気持ちに寄り添って励ましてくれた。

「ありがたかったですね。本当にいい先輩ばっかり。他にも祖父江(大輔)さん、谷元(圭介)さん、田島(慎二)さん……一流の選手の方々がどれだけ凄いのか、日々どれだけ努力をされているかというのを間近で見られたことは素晴らしい経験でした」

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