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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「もう、野球せんでええんだ」名古屋大学野球部“史上初のプロ選手”が受けた戦力外通告…地元愛知のテレビ局で報道記者になった「異色の経歴」秘話
posted2025/08/04 11:07
2020年に中日の育成1位でドラフト指名を受けた松田亘哲さん。現在はCBCテレビの報道局記者
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
L)Sankei Shimbun、R)NumberWeb
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名古屋大学野球部“史上初”のプロ入り
2020年から中日の育成選手としてプロの第一歩を踏み出した松田さん。高校時代はバレー部で、旧帝大の名古屋大から初のプロ入りという異色の経歴は話題を呼び、トレードマークの黒縁メガネ姿とともに注目を集めた。しかし本人はまず、周囲の選手たちに圧倒されたという。何しろ、同期入団だけでも現在一軍で活躍する石川昂弥内野手や橋本侑樹投手、郡司裕也捕手(現・日本ハム)、岡林勇希外野手といった面々だ。
「甲子園に出ていたり神宮大会で優勝したりと、いわゆる野球エリートばかり。先輩を見ても、吉見(一起)さんに圧倒され、山井(大介)さんだ! コーチは浅尾(拓也)さんだ! と……ドラゴンズファンだったので、ただただ、すごい! となっていました。最初から“肩書き負け”はしていたと思います。ただ、とにかくここからがスタートだ、という前向きな気持ちではいました」
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支配下登録を目指すなかで、最初に当たった壁はプロの練習量だった。周囲は小さな頃からハードに鍛え上げてきたフィジカルモンスターの集まり。それまで“普通の部活動”の経験しかなかった松田さんは、日々の練習をこなすのがやっとだった。
「ついていくのに必死でした。週6やるのがきつくて、肩がもたない。投げる体力が全然なかったんです。最初の1年は体力作りなのだからこれでいいんだ、なんて考え方はできなかった。22歳の育成選手ですからね。どうにかしてついていかなければ、と。今思えば、無理をしていたなと思います」
左肩の負傷、試行錯誤が続いた1年目
必死に食らいつく毎日の中で無理がたたり、左肩を負傷した。骨と骨をつなぐ関節包の損傷だった。ノースローでのリハビリ期間が続き、1年目は実戦登板なし。怪我からの復帰の過程では、思い切って投球フォームを変えるなど試行錯誤が続いた。
「テイクバックを大きく、体全体を使って投げていたんですが、動きがスムーズじゃなくなるところを直そうと色々とフォームを変えました。結果的にはそれで自分の良さを見失ってしまった部分もあったかな。プロに入って練習方法や治療法、ケアの仕方などを沢山学ぶことができたのは良かったのですが、それを全部取り入れているうちに自分の軸が無くなっていたような感じもあったと思います」

