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「先輩がパイプ椅子で後輩を殴打」PL学園野球部で暴力事件、出場停止も…甲子園優勝7回の最強野球部で何が? 名門の崩壊がはじまった日

posted2025/07/29 11:05

 
「先輩がパイプ椅子で後輩を殴打」PL学園野球部で暴力事件、出場停止も…甲子園優勝7回の最強野球部で何が? 名門の崩壊がはじまった日<Number Web> photograph by JIJI PRESS

かつて甲子園球場の名物となっていたPL学園応援団の人文字

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柳川悠二

柳川悠二Yuji Yanagawa

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「学力は東大、野球は甲子園」「逆転のPL」。高校野球の超名門、PL学園は輝かしい実績の裏で、瓦解もはじまっていた――。先輩が後輩をパイプ椅子で殴打、夏の大会出場辞退。名門はなぜ消えたのか?【全4回の2回目/3回目へ】

「昔は人であふれていてね…」

 PL教団の聖地は近鉄喜志駅と富田林駅にまたがるほど広大で、80年代には公称とはいえその信者数は260万人を超えていたとされる。PL学園は定時制課程も含め1000人以上が敷地内に暮らしていた。喜志駅側にPL学園の校舎や金剛寮(男子寮)、葛城寮(女子寮)が建ち並び、富田林駅側にPL教団の本庁やPL病院、硬式野球部の選手たちが汗を流した球場「Aグラウンド」が存在する。そして、羽曳野の丘陵地帯に位置するこの一帯を、奇っ怪な形をした白亜の「大平和祈念塔」が見下ろしている。ちなみに塔の建設計画が持ち上がった時、パブロ・ピカソに設計を依頼したとも言われるが、真偽は定かでない。

 近鉄喜志駅からすぐのところにある喫茶店の店主が回想する。

「うちも半世紀以上、この地で営業しているんやけど、ここ喜志駅も隣の富田林駅も昔は人であふれていてね。PL教団あっての、富田林市でした。1978年の夏に初優勝した時なんかは、甲子園から戻ってくるナインのパレードも実施され、沿道を人が埋め尽くしていました。そうそう、桑田(真澄)君がドラフトで指名された時も、お父さんと一緒にうちの店にやってきてくれましたね。巨人に指名されて、周囲は大変だっただろうけれども、桑田君もお父さんもやけに落ち着いていたことを思い出します」

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 高校野球の歴史は、宗教学校の歴史でもあり、宗教と高校野球は密接に結びついてきた。

 たとえば、高校野球の草創期から近年まで京都の高校野球を牽引してきた平安(現・龍谷大平安)は浄土真宗本願寺派の学校であり、2000年代に3年連続夏の甲子園で決勝に進出した駒大苫小牧をはじめとする駒大系列は曹洞宗の学校である。

 こうした仏教の伝統宗派だけでなく、1970年代から1980年代にかけては日本の新宗教系学校が台頭していく。その代表格がPL学園であり、奈良の天理、辯天宗を母体とする智弁学園(奈良)や智弁和歌山もそれに該当する。歴史の浅い新宗教の団体は、NHKで全国放送される春夏の甲子園で学校名=宗教名を喧伝する、いわゆる広告塔としての役割を野球部が担ったのである。また、東北地方の強豪私学である聖光学院(福島)や八戸学院光星(青森)など、校名に「光」が含まれる学校に多いのはキリスト教系である。

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